未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

HSP(過敏感)の筆者が、人・作品・自己啓発についての考察記事を書いていきます。

物事を0か100でしか捉えられない男【僕が幸せになることは法律によって定められている】

 

物事を0100でしか捉えられない人間がこの世には存在する。

 

学校の先生から「廊下は走っちゃダメ」と言われたら、「どこからが"走る"なんですか?じゃあ、早歩きはありですね(^^)」と言い返し。

 

幼少期に親から「犯罪は絶対にしちゃダメだぞ」と言われたら、「道交法は破ってもいいの?お父さん、毎日笑顔で法律犯してるじゃん(^^)」と言い返す。

 

そう、かくいう僕こそが物事を0か100でしか捉えられない人間なのだ

 

バランス感覚が求められるこの世の中で、こんな両極端な考え方しかできない人間はさぞ生きづらい事だろう……と思いきや。

 

意外とそれが、そうでもないんだよなぁ。

 

 

 

この世界は矛盾で満ちている

皆さんお分かりの通り、この世界というのは驚くほどに矛盾で満ち溢れている。

 

人としての道徳。善悪の境界線。動物保護団体の喜怒哀楽。

曖昧さにより成り立っているものは、挙げ始めればキリがない。

 

なんと、まあ、矛盾だらけなんだ。

 

僕たちは皆、何一つとして間違っていない。

そして同時に、何一つとして正解もしていない。

 

先人が決めた規律と、現人の抱く価値観のみがそこにある。

 

であるからして、深く考えてはいけないのだ。

 

「この世界が矛盾している」などという当たり前の事実に、真摯に目を向けてはいけない。

 

ただ、二言、こう思えば良い。

 

「矛盾してはダメなんですか、それなら何も発言できなく(0)なりますよ!」

「揚げ足取るのヤメテもらえますか、それなら僕に氏ね(100)って言うんですか!」

 

うわっ、コイツめんどくさ。と思わせたら、勝ちやで。

 

思考とは、つまり、法律だ

0と100による恩恵はまだある。

 

物事に両極端の事実しかないのであれば、程度が3であれ28であれ99であれ、それらは全て同じ100へと繰り越される。

 

ただの簡単な事実でさえ、それが自らに与える拘束力は計り知れないほどに膨れ上がる。

 

そう、僕にとっては、頭の中で作り上げた架空の「思考」が、そのまま「法律」と同等の力(パワー)を持っているのだ。

 

もはや、それらの違いを認識することはできない。

 

自分が勝手に決めた規律がそのまま、自分自身に絶大な影響力を保持している。

 

ブログの記事を一つ書く度に、それは僕を縛り上げ、僕の脳を改変していく。

 

日々考えるだけで、僕を守り肯定してくれる条約が半永久的に増えていく。

 

これこそが、考えることの喜びだ。

 

「あなたには幸せになる権利があります」

つまり、これは法律だ。

 

人間として産まれてきたからには、絶対に守られるべき決まりであり、破られることはあってはならない。

 

「人は人を殺めてはいけない」という当たり前の事実と同じくして、「人は決して不幸になることはない」という事実が存在する。

 

もし仮に、自分が不幸な状況に置かれたとしたら、僕は情緒を込めてこう答えるだろう。

 

「ん゛…!?おかしいな……?

僕が不幸になるはずはないのに、なぜこんなにも不自由を強いられているんだ。

事実として間違っている、この齟齬はあってはならない。

こんな不条理が人の世で起こっていいはずがない。

僕は僕を肯定する全てを見つけ出し、それらに則り心の平穏を取り戻す。

自らが幸せになれない世界など、存在したり得ないのだ。」

 

この架空の道理が自分に染み込むように、より情熱的に、より理性的に綴るのが良いのではないかと個人的には考えている。

 

 

 

 

というところで、今回は以上。

なんか、この人宗教とかハマりやすそうだなと書いてて思いました。

 

それでは、また。