未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

人はたとえ知識が無くても、「死ぬ気で考え抜く」だけで一つの真実に到達することできる。このブログでそれを証明します。

3分でわかる『純粋理性批判』(カント)

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難書『純粋理性批判』を3分で分かるようにまとめます。

 

 

【導入】この本は何が言いたいのか

本書『純粋理性批判』は、科学などの重要な学問の礎となる認識論(人間はどんなことを知りえるのか)についての哲学書である。

 

カントは本書で、重大な欠陥を抱えていた"経験論"と"合理論"を統合し、どちらにも矛盾の無い新たな認識論を作り上げた

当時争っていた二つの考えを合体させるというカントの考えは、コペルニクス的転回と呼ばれるほどに革新的なものだった。

 

経験論合理論の欠陥】

  • 神の存在も科学の確実性も保証できない(経験論)
  • 人間は理性により、見たことのないモノも想像できる(合理論)

 

本当の世界である「モノ自体」を人間は認識できない

私たちは目の前にあるモノを、そこにあるのが当然のごとく認識している。

 

「リンゴがあるからこそ、私はリンゴを見ることができる」

「ストーブがあるからこそ、私はストーブの熱を感じることができる」

物体や刺激が存在して初めて、私たちはそれを目で見たり肌で感じることができる(客観的視点)、と思いこんでいる。

 

しかし、カントによる考えはこれとは全くの逆である。

 

「私がリンゴとして見るからこそ、リンゴの姿として現れる」

「私がストーブの熱を感じるからこそ、ストーブの姿として現れる」

人間が認識することのできない「モノ自体(本当の世界)」がもともと存在していて、それを人間の感性で認識して初めてリンゴやストーブといった形が形成される(主観的視点)。

 

つまり、赤くて丸く見えるのはリンゴの仮の姿(人間による見方)であり、リンゴの本当の姿を人間は知ることができない。

 

「空間」と「時間」を通さないとモノを認識することはできない

誰にも認識されなければ、モノは物として人間に見える形で存在することはない。

人間が認識して初めて、モノは形を持ってその姿を現す。

 

そして、人間が(目に見えない)リンゴを(赤くて丸い)リンゴとして認識するには、二つの制約がある。

一つは「空間」、もう一つは「時間」である。

 

つまり、人間は「どの空間にも存在しないリンゴ」や「どの時間にも存在してないリンゴ」を想像することはできない

リンゴを想像するには必ず、存在する場所(空間)と動き(時間)を交えなければいけない。(止まっていても、その止まる瞬間の時間は考えなければいけない)

 

【結論】人間にとって「科学」は正しいが「神様」は正しくない

モノがあって初めて感じる(客観)のでなく、感じて初めてモノが産まれる(主観)と考えることで、人間の認識がどの程度正しくてどこまでいくと限界に達してしまうのかが分かるようになった。

 

結論として、人間の認識によると「科学」は正しいが「神様」は正しくない

 

数学や物理学といった科学の根本的な推論は正しく、その確実性を担保することができた。

しかし、神や魂などの「空間」や「時間」を通して捉えることのできないモノを人間は認識することができず、そもそもいるかいないか議論すること自体がナンセンスである。

 

【合理論と経験論の統合】

  • 数学や物理学といった科学の確定性は保証される(合理論)。
  • しかし、人間の認識能力には限界があり、「神」や「魂」といった形而上学的な存在を認識することはできない(経験論)。

 

参考文献