未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

僕が証明したい事はたった一つ。「内気な人間でも幸せになれる」ことだけだ。

アドラー心理学の"欠点"を指摘しよう

 

アドラー心理学の極意が詰め込まれた本『嫌われる勇気』を読んだ。 

 

さすが多くの人から支持されてるだけあって、私生活で役に立ちそうな自己啓発テクニックがたくさん載っていた。

読んだのは今回が初めてだが、自分が今まで培ってきた考え方と通ずるものや納得できる内容のものがほとんどだった。

 

だが、たった一つだけ容認しがたい事柄があった

 

それはアドラー心理学の前提であり根幹にある考え方だ。

 

 

 

「人は変われる」という考え方

アドラー心理学では、原因論を否定し目的論を正しいとしている。

人は自分の望んだ目的を成就させるために、過去の原因を後付けで当てはめているに過ぎないということだ。

 

過去のトラウマを原因にして、「自信がないのはしょうがない」「もう変わることができない」と思うのは甚だナンセンス。

大事なのは。今、何を為したいと思い、何を願うかということ。

 

例えば、大きな声を上げるという目的のために"怒る"し、悲しい気持ちを表現する目的のために"泣く"。

今現在の行動は全て目的に沿ったものしかなく、人が感情に支配されることは決してありえない。

 

つまり、人は「変わりたい」という今現在の目的さえあれば、容易に変わることができる

変われない人は、ひとえに「変わりたくない」と思っているだけに過ぎない。

 

この「人は変われる」という教えは、アドラー心理学全体を支える根本的な考え方となる。

 

容認しがたい自己責任論

前項の通り、アドラー心理学では「人は変われる」という素晴らしい教えを説いている一方で、「変われないのは自分のせい」という自己責任論を掲げている。

 

私が容認できない考え方こそが、この自己責任論である。

 

たしかに、過去のトラウマと今の自分の行動を切り離せば、自分のこれからの人生には無限の可能性が広がっていく。

自分がそうしたいと"思う"だけで、過去の性格や環境などに関係なく自由に行動することができるのだから。

 

ただし、無限の可能性というのは同時に無限の責任でもある

 

自分が「変わった方が良い」状況にいるなら、必ず変わらなければいけない。

アドラー心理学の考えだと、変われる状況をみすみす逃そうものなら自分が努力を怠ったことになってしまう。

 

「変われる」と知っているのに「変わろうとしない」人は、アドラー心理学のポリシーに反している。

ある意味、この本を読んだ時点で読者は「変わる」ことを強いられている

 

"嫌われる勇気"を持っている人が幸せになるのと同時に、"嫌われる勇気"を持ってない人が不幸せになる。

そして悲しいことに、そもそもこんな自己啓発本を読む人の中に"嫌われる勇気"を持っている人はほとんどいない。

 

今から"嫌われる勇気"を獲得していこうと思っている人に対して、アドラー心理学はあまりにもハードルが高すぎる

 

すばらしい自己啓発論の数々を紹介して理想のライフスタイルを掲げる前に、実際に"今"苦しんでいる人の気持ちに寄り添う配慮が必要なのではないかと私は思った。

あまり言いたくないが、アドラー心理学は理想を追い求めて完璧に作りすぎたゆえに、現実味が薄い机上の空論に成り下がっている。

 

以上が私が『嫌われる勇気』を読んで感じたアドラー心理学の欠点である。

 

ここまでの内容を「いや、それは君が原因論的な考えから脱却できてないからだよ。君は目的に沿って言い訳を作り出しているに過ぎない。」と言われてしまったら、もう私にはお手上げだ。

その時はアドラー心理学を諦めよう

 

役に立つ考えがほとんど

と、ここまでアドラー心理学の欠点を挙げたわけだが、内容自体はためになる考え方がほとんどだった。

 

驚いたのは、私が今までの人生経験で編み出してきた哲学と共通する考えが多かったことだ。

例えば、以下のような考え方である。 

  • 人は考え方一つで変われる
  • 「ないものねだり」はしない
  • 個人と他人を切り離して考える

 

アドラーは実際に人と対話していくことで自分の理論を深めていったらしいが、それは誰であろうと一から「アドラー心理学」に到達することが可能ということなのだろう。

有名な哲学者がこういう現場主義的な考え方をしているということは、趣味で哲学をやる身としては喜ばしいものだ。

 

最後に、当ブログのアドラー心理学に似通った記事を貼り付けて、当記事を締める。

 

それでは。

 

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