未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

僕が証明したい事はたった一つ。「内気な人間でも幸せになれる」ことだけだ。

親分、あなたに一生ついて行きます!!『怪盗ルパン伝 アバンチュリエ』

 

どのような能力、どのような人格を備えていれば、人は人に師事したいと思うほどに心惹かれるのでしょうか。

 

あなたには一生つきて行きたいと思えるような人がいますか?

 

 

 

(当ブログ)筆者の憧れる人物像

個人的に憧れる人の人物像について話します。

 

筆者の憧れる人の条件は、

  1. 圧倒的才覚を持ち合わせている。
  2. かつ、それを行使することに誇り、ないし使命感を抱いている。

以上の二つです。

 

二つの条件それぞれについて説明していきます。

 

1.圧倒的才覚

まず、1つ目の「圧倒的才覚」について。

これはまあ当然で明らかです。

 

凡人の生き方を見ても特に得られるものはないでしょう。

どうせ恋焦がれるのなら、やはり超越した力を持つ人を選びたいものです。 

 

凡庸な人間が不器用なりに頑張る姿も見てて面白くはありますが、憧れの対象にはなりませんかね。

 

2.力の行使に誇りがある

次に、2つ目の「力の行使に誇り・使命感を抱いている」について。

これは個人的にかなりポイントが高いです。

 

自分の持つ優れた能力をきちんと自覚し、それを最大限に行使してやろうという気概には惚れ惚れします。

圧倒的な力(パワー)がそこに確かに存在するのがありありと感じ取れるさまは、正に圧巻としか言いようがないです。

 

日本人の美徳としては「謙遜する」のが美徳かもしれませんが、あまり好きではありません。

自覚のない力や誇示しない力なんて、周りから見ればあるかないかもよく分からないです。

 

怪盗ルパンの持つ3つの魅力

と、筆者の憧れを踏まえた上で、怪盗ルパンの持つ3つの大きな魅力について語っていきたいと思います。

ちなみにモーリス・ルブラン原作の初代ルパンはイケメンです。孫のルパン三世の猿顔はおそらく母親か祖母から受け継がれたのでしょう。

 

1.卓越した能力

「変装の達人であり、どこであろうと神出鬼没、不可能を可能にする、大怪盗ルパン」などと言われるとただの天才のように思えますが、ルパンにも下積み時代があります。

 

アルセーヌ・ルパンとして世に名を馳せるまで、彼は奇術、科学、体術、操術など多岐に渡る能力を"努力"によって身に着けています。

そこに持ち前の頭の回転の速さと推理力が合わさることで、あの天才的な盗みの数々をこなしてきたきたわけです。

 

そして、作中でルパンに匹敵する力を持つ人物は、世界的名探偵シャーロック・ホームズたった1人です。

 

怪盗といういわば大犯罪者でありながら、警官ですらそれを指をくわえて見てるしかないという圧倒的な力。

世界は全てルパンのものであると言っても過言ではないかもしれません。

 

2.己の力への誇り

ルパンは己の持つ力に絶対の自信と誇りを持っています。

 

「僕にもそう言う生き方もあったかも知れません。がんじがらめの世の中に絡め取られ、いいように使われる哀れな生き方もね!」

「でも…僕はそんな世をあざ笑える自分の能力に気付いてしまった…」

 

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かっけええ。

マジ痺れる憧れるぅ。

 

 

さらに、

 

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だけど僕はそれらを選びやしないね!!

僕は「アルセーヌ・ルパン」に留まる!!!

古今の歴史を紐解いても「アルセーヌ・ルパン」以上に強烈で素晴らしい運命なんてあるもんか!!!

 

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ひたすらに自分の力に酔いしれてる様がたまらなく良いですな。

 

3.人間味

ルパンの信条とする『豪放磊落』、それは小さいことにこだわらず陽気に快活であること。

そして、人生を心から愛している

 

怪盗なんてしているから、彼は相当変わった価値観を持っていると思われそうだが、実はとても人間味に溢れている。

盗みそっちのけで人助けをしたり、愛する女性のためにわざと死地に赴いたり、果てには人としての道徳を気にして怪盗を辞めようとまでするのです。 

 

こうした人間臭さもルパンの持つ魅力の一つになります。

 

当ブログでの一人称について

最後に、当ブログの一人称の取り扱いについて話して終わろうと思います。

(一応、数多の顔を使い分ける怪盗ルパンに掛けています)

 

「僕」と「私」

当ブログでは、一人称として「」と「」の2つを記事によって使い分けています。

 

というのも、それぞれに違った印象を抱いているからです。

 

まず、「僕」については、一人の少年または青年というイメージ。

現在21歳である筆者がプライベートな事を言うときや、等身大で感情を吐露したいときに使います。

 

一方、「私」については、公の場でのかしこまった大人というイメージ。

自分の意見や持論を述べる際に、しっかりと議論のできる一人の大人として臨みたいときに使います。

 

変わっている持論や真面目な考察を話しているときに一人称が「僕」だと、どうしても気が抜けて拍子抜けされてしまう気がするんですよね。

言葉に重みを乗せる意味では「私」の方が優れていると思います。

 

「です・ます」調と「である」調

あと、ついでに「です・ます」調と「である」調についても話しますか。

当ブログでは、この2つについても記事によって使い分けていて、統一はしていません。

 

これも、それぞれに抱いているイメージが違うからです。

 

まず、「です・ます」調については、人間味が溢れていて柔軟な発想ができそうな人が連想されます。

なので、少しアクの強い主張や受け入れられなそうな提案をするときに、読者との緩衝材として使います。

 

当ブログでは筆者の偏った意見を発信することが多いので、9割以上の記事で「です・ます」調を用いています。

変わった意見に断定調だと、自分で読んでいても取っつきにくさを感じるので。

 

対して、「である」調については、高飛車で頑固な考えをしている人が連想されます。

使う場面としては、ある考えを強く訴えかけたいときや、自分の意見に確固たる自信があり高圧的に話したいときなどです。

 

「である」調を使う時は、正直言ってフィーリングで何となくなことが多いです。

毎回、しっくりきた方を感覚に任せて選んでいます。

 

統一するべきなのか?

まあ、これはブログに限らない話ですが、情報の発信者として口調を統一するべきか否かという問題があります。 

 

結論から言うと、口調を統一する必要はないと思います。

 

その本人が発信した内容であれば、口調が変わったところでさした影響はないです。

 

かの怪盗紳士はこう言います。

 

「時々自分が誰なのか自分でもわからなくなる」

でも、大事なのは誰もがこう思う事!

「これはアルセーヌ・ルパンの仕業だ!」って!

 

つまりは、言っている内容に芯が通っていてそれがブレなければ、発信者の人となりは自ずと浮かび上がってくるというわけです。

 

これこそが今回伝えたかったルパンの魅力であり、我々全員が目指すべきあり方なのです。

 

 

 

てところで、そろそろ記事を締めさせていただきます。

 

それでは、Au revoir(さようなら).