未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

人はたとえ知識が無くても、「死ぬ気で考え抜く」だけで一つの真実に到達することできる。このブログでそれを証明します。

【vs メンタリストDaiGo】知識のない人が一生懸命考えた「科学的根拠のない考察」に意味はあるのか?

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どうも、ハイネスです。

 

さて、知識のない人が一生懸命考えて生み出した「科学的根拠のない考察」に意味はあるのでしょうか?

 

最近、私はこのことについてばかり考えています。

 

というのも、今現在ブログを『知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ』というタイトルで運営しているので、「科学的根拠のない考察」に価値があるのかどうかという話は割と私のブログの存続を左右するようなテーマだなと思っている訳です。

 

まだ自信を持って断言できるような意見はないのですが、現状私自身が「科学的根拠のない考察」についてどう捉えているのか綴っていきます。

 

 

考察をするにあたって「科学的な裏付け」はかなり重要

まず初めに、私はあるテーマについての考察を述べるときに「科学的な裏付け」を添えることはかなり重要だと思っています。

 

それが過去のデータから導き出される統計なのか、それとも実験によって実証された事実なのか、どちらにせよ「科学的な裏付け」というのは全ての人に当てはまる普遍的な事実というのを教えてくれます。

一個人でしか考えていない独断・偏見の含まれた持論よりかは明らかに役に立つはずです。

 

こうした思考に至った理由というのも、私は最近「メンタリストDaiGo」さんの自己啓発系のネット放送をよく見るのですが、彼は自分のアイディアには必ず「科学的な根拠」を添えて話すのです

「何となく自分が思ったから」というような投げやりな考察は一切ありません。

 

彼は、自分のことを宗教をもじって"エビデンス(科学的根拠)教"と呼称するぐらい「科学的な根拠」に心酔しています。

実際、私も彼の提案する自己啓発系のアイディアを日常で実践してみることもあるのですが、やはり「科学的な根拠」に基づいているだけあって見て分かるくらいにその効用を感じることができました。

 

しっかりとした実験によって有用性が証明されている理論というのは、それだけで安心感があるし的を外れた結果がでるということもありません。

「科学的な根拠」に大きな価値があるというのは揺るぎのない事実でしょう。

 

科学的根拠のない考察」に意味はないのか?

前述の通り、エビデンス教であるDaiGoさんの信者になりかけている私としては、「科学的な根拠」のない考察や思考に意味を見出せなくなりつつあります

 

しかし、そんな気持ちに反して自分の頭の中では、「科学的な根拠」があろうとなかろうと色んな事について考察していきたいという欲求が沸々と沸き上がってくるのです。

こればっかりは欲求なので仕方がないでしょう。

 

というわけで、「科学的根拠のない考察」に価値があるという理由を、自分なりに作り出していくつか挙げていきたいと思います

 

「科学的事実」に縛られない自由な発想が生み出せる

これはまあ逆もまた然りなんですが、「科学的根拠のない考察」というのは科学的事実に縛られない自由で新しい理論を生み出すことができます

 

「科学的事実」ありきの発想だと、どうしてもその結果に引っ張られてしまって良い理論や考察を生み出すことはできません。

"知識"による偏見を受けていない柔らかい頭で考えるからこそ、世界の常識の裏側に隠れているような深い真理にたどり着けるのです。

 

実験によってある一つの結果が出たからといって、それを盲信してしまっては逆に自分の首を絞めてしまう結果になります。

もっと自由な発想を持ちましょう。

 

「科学的な根拠」を一々探すのは現実的じゃない

結局、エビデンス教なんてものは「科学的な根拠」がないと何もできない無力な人でしかありません。

その恩恵を得られるのなんて仕事もせずにひたすら知識だけ吸収してるような暇人だけです。(※誰もディスっていません)

 

一般の人が「科学的な根拠」なんてものを一々探してからしか考えることができなかったら、一生時間があったって足りません。

それに、一生懸命探して「科学的な根拠」を提示したとしても、その結果が間違っている可能性だってあります。

 

正直、「科学的根拠」と言っていながら、それをがんばって日常で使おうとしちゃうのは全然現実的じゃありません

 

中途半端に「科学的根拠」があるよりも、"経験則"の方が役に立つ

おそらくエビデンス教の方々は、「科学的根拠」のないことを信じる人たちの気が知れないと思っているのでしょう。

 

しかし、果たして「科学的根拠」というものは私たち人間にとって本当にそこまで大事なものなのでしょうか?

 

結局、私たちが「科学的根拠はやっぱ大事だなあ」と思うに至るのは、その科学的根拠に基づいたアイディアが日常生活において実際に役に立ったと自分が実感できた時に限ります。

つまり、その「科学的根拠が大事」だと思うあなたの心理は、あなた一個人の送る偏った事例としての生活とあなたの持つ独断に満ちた統計感覚によって弾きだされた「科学的根拠のない妄想」に過ぎないということです。

 

「科学的根拠」を提示しているのに結局は「科学的根拠のない感覚」によって安心感を得ていて、こんなのは本末転倒で何の意味もありません。

そんなものに頼るくらいなら、一個人でも生み出せる"経験則"に頼った方が何倍もマシです

 

経験則ならば、誰がその理論を構築して成功を収めることができたのか知ることができるし、全人類皆が提供できるので事例として圧倒的な数と種類がそろっています。

経験則最強と言っても過言ではないでしょう。

 

自分の頭で考える習慣を作るのが大事

「科学的事実」に頼ってばかりだと、徐々に自分で考える能力を失っていってしまいます。

 

目の前の面白そうな理論ばかりに釘付けになるというのは、自分で考えるという大切な機会を自らどんどん放棄している危険な状態です。

そうなると、自分で考えられる場面ではしっかりと考える時間を作ることが大事になってきます。

 

 

 

さあ、皆さん。

「科学」なんかに依存してるのがどれだけ危険なことか分かってきましたね。

 

最後に頼れるのは自分の頭だけですよ?

 

 

 

以上、理系大学生がお送りしました。