未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

HSP(過敏感)の筆者が、人・作品・自己啓発についての考察記事を書いていきます。

【HSPの日常#3】何をするにも「疲れ」やすい

 

人が動くにはエネルギーがいる。

 

何の代償もなしに動き続けることは人にはできない。

 

そして、HSPの活動燃費は普通の人よりも著しく悪い

 

どんな物事にも敏感に反応してしまうがゆえに、すぐに疲れてしまう。

同じ作業をしている非HSPよりも、何倍も多く疲労感を溜め込んでしまう。

 

それゆえに、生きづらいのだ。

 

 

 

人間という生物に向いていない

最近、日常生活を送る上で度々感じることがある。

 

それは、「僕(HSP)は人間という生物として生きるのに向いていないな」という気づきだ。

人間として、社会的動物として生きるのには色々と難があり過ぎるように思う。

 

多くの活動を他の人間と共にこなしていかなければ、人間は充足感を得ることはできない。他者ありきでの生物だ。

他の動物がおよそ考えもしないような、生理的欲求や自己実現などの対人による欲求が数多く存在する。

 

他者と繋がることを億劫に思う人間が、社会的動物である人間に向いているはずもないだろう。

 

まあ、人間よりももっと厳しそうな野生の動物に生まれなかったのは、まだマシなのかもしれないのだが…。

 

現実逃避に生を見出す

僕は「あなたの趣味は何ですか?」と聞かれた時に、何か適当な言葉を返すことができない。

 

なぜなら、僕には熱中できる趣味など一つもなく、ただ"現実逃避"することが大好きなだけだからだ。(参照)

休日はだいたいネットサーフィンやYoutubeを取り留めもなく見続けて、できるだけ何も考えないように努めている。

 

できることなら、何も考えたくない。

何のストレスも受けないように、今日という変わらない日常を永遠に繰り返したいと思っている。

 

現状から変化するのがたまらなく怖い。

僕にとっては「感じる」という行為そのものが悪であり、できることならもう一生何も「感じたくない」とすら思っている

 

HSPは、何気ない日常を過ごすだけで、体にとてつもなく大きい負担がかかってしまうのだ。

ただ生きているだけで嫌悪感が募っていく感覚が分かるだろうか。

 

普段から少しでもポジティブに考えるようにしていないと、すぐに生きるのがしんどくなってくる。

 

では、なぜ哲学をするのか?

前の項で、趣味がないということを書いたが、僕にも一つだけ趣味と言えるような事がある。

 

それこそが、このブログでも主テーマとしている哲学だ。

哲学に関してだけは、僕は自信を持って他人に負けないほど熱中していると断言することができる。

 

なぜなら、僕は文字通り命がけで哲学をやっているからだ。

「考えまくる」ことが現実逃避とは真逆の行為であることを差し引いても、それでも哲学には大きな価値がある。

 

つまるところ、現実について「考える」と疲れるのだから、その疲労感をぶち飛ばすほどに「考える」ことに幸せを感じれられればいいのだ。

HSPは先天的なものなので"疲れなく"させることはできないが、"疲れなど気にならなくなるほど楽しい"状態にすることはできる。

 

説明が面倒なので、以下に口語的に書いてみる。

 

 

「あ゛あ゛あ゛、日常生活ってホント疲れるよなあ・・・・・

嫌なこと多いし、生きてるだけで疲れんだよッ。

あああああ、しゃあねえ、ここらで"哲学"使っとくか!

 

ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ(精神統一)

 

気持ちィィィィィィィィィィィィィィィィ、最高ォぉぉ!!!!!!!!!!

俺が一番、俺は最強、俺は何でもできるんだあああああああああ。

俺を精神的に打ち負かせる奴がこの世に存在するのかァ?オイ!

俺が哲学により築き上げた精神世界の前では、何者も無力でしかないんだよ。

俺は俺の作り上げた俺だけの自己完結的な世界論により、世界で一番幸せな人間になることができるんだッ。

(※薬等はキメていません、自力で到達しています。)

 

 

 

というところで、今回は以上。

途中まで真面目だったのに、最後でおかしくなっちまった…。

 

それでは、また。