未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

HSP(過敏感)の筆者が、人・作品・自己啓発についての考察記事を書いていきます。

【HSPの日常#4】この世界に「存在」している実感がない

 

僕は、きちんと世界を捉えることができている。

 

僕は、人間が暮らすこの世界を認識することができている。

 

でも、その世界に僕はいない

 

僕には、僕のいない世界しか感じることができないのだ。

 

 

 

この世界にある僕という異物

 

僕が他人からされて最も嫌なこと。 

 

それは、「他人から認識される」ことだ。

 

好かれるとか嫌われるとかそんな次元の話ではない。

他人から認識されることそのものが、あまり好きじゃない。

 

この一種の完成された世界において、僕という人間は明らかに異物であるとしか思えない。

僕がこの世界に存在することで、何かこの世界の理を歪めてしまうんじゃないかとすら思える。

 

僕は僕の存在を無意識レベルで拒絶したくなる時がよくある。

 

身体の動きが世界に馴染まない

HSP特有の"考え過ぎる"性質のせいで、僕には自分の一挙手一投足が気になって仕方がない。

身体の動き一つ一つが全てぎこちなく、どうやったら自然に身体を動かせるのかが分からなくなってくる。

 

リンゴは木から自然に落ちるし、人間は前に進もうと自然に歩く。

でも、僕の挙動は自然ではない。

 

なぜなら、僕は僕の行動全てについて、その意図を考えるし、その外聞を考えるし、その一貫性を考えるし、その正当性を考える。

こんなにも考え尽くした上での行動が、あなたには"自然"だと思えるだろうか。

 

僕は考える。そして、考えた。僕が今何をしているのか。

その結果として得られたものが、僕という人間が存在することへの不自然さだ。

 

生きづらいというよりはもはや、「僕は本当に存在しているのか?」ということを皆に問いたい。

 

どこか頭が狂ってきている

極度の潔癖症という人がいるだろう。

除菌をしないと物に触れなかったり、人の作った料理が食べられないといった人たちだ。

 

そして、僕はその潔癖症を「世界」という枠組みまで拡張させて身に付けているような人間だ。

 

この世界について考え過ぎるがあまり、もう自分でも訳が分からなくなってきている。

何なんだ君は、何なんだあなたは、何なんだ僕は。

 

一度考え始めると、発狂する一歩手前まで行ってしまいそうになる。

もう、どこか頭が狂ってきているのかもしれない。

 

正しさという概念と存在という概念について考え始めると、もうだめだ。

 

考えなければ楽なのだろうが、考えるのを辞めたときに僕の何かが終わってしまうような気がして怖い。

 

僕は僕の存在と引き換えに、もう少しこの世界の深淵を覗いていたいと思う。

 

 

 

以上。

それでは、また。

 

 

前回→【HSPの日常#3】何をするにも「疲れ」やすい

次回→

#1→【HSPの日常#1】的を得た「批判」は怖い