未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

考える。ただ、考える。

僕がこの世で「最も価値のある」人間である理由

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どうも、筆者のハイネスです。

(最近、ブログのもちべが減ってます。)

 

僕は普段の生活から「生きている実感」を得られたことがあまりありません。

 

普通に暮らしていても大きな感動が湧かないんです。

どちらかと言うと、落ち込んだりストレスを抱える方が多いまであります。

 

そもそもがコミュ障気味なんで、コミュニケーションで喜びを感じる人間という枠組みに合ってないのでしょう。

人との関わり合いを避けてしまうと、やはり人は大きな感動を得にくいみたいです。

 

でもね。

僕にもたった一つだけ「生きてる」って感じる瞬間があるわけですよ。

 

僕が"生"を最も強く感じられるのは、他人よりも自分がだと実感できた瞬間ただそれだけです。

 

他人の価値が落ちて自分の価値がうなぎ登りに上がっていく、あの瞬間に沸き上がる興奮だけは正に別格。

あまりの高揚感に心の中では「うわッ、気もちイイィイイイイイイ」って毎回叫んでます。

 

もはや卑屈だとか考えることに意味もないです。

だって、最高に気持ちいいんだから。

 

就職面接で「君の座右の銘は何かな?」って聞かれたら、

少しも迷わず「僕はこの世界で"最も価値のある"人間である」と答えます。

 

これは常に心に留めておきたい。

なんなら抱き枕にして毎日添い寝したいくらいです。

 

「自分が一番」。

これって素晴らしいことじゃないですか。

 

どんなに凄いスペックを持っていて、どんなに凄い偉業を達成して、どんなに凄い地位に就いていたって、この信念を持った僕一人に勝てる人物はいないのだから。

国民栄誉賞受賞者だろうと、現日本国内閣総理大臣だろうと、僕を打ち負かすことはできません。

ん?マウントを取ろうとしてきたら?もちろん僕らは抵抗するで。(どう抵抗するん?)読む気も失せるクソ長文で永遠と君を否定し続けて!!!

 

自分の価値を一番に据えるという僕の生まれてきた意味を全うするために、日々闘争していきたいんです。

 

もしかしたら、皆さんからはどうしようもなく思われるかもしれない。

「まーたコイツが卑屈なこと言ってるよ」と思われるかもしれない。

 

でも、これが、"幸せになる"ことなんだと僕は思うわけです。

 

そのためだけに生きていきたい。

 

そういう人間に私はなりたい。

 

 

 

というところで長くなりましたが、本題に入っていきます。

 

 

 

どうして僕は自分の価値を上げたがるのか?

僕はこのブログにおいて、今まで何度も何度も自己肯定に関する記事を上げてきました。

 

「簡単に自信を得る方法」

「自己効力感を上げる方法」

などの自己啓発記事です。

 

そういう類いのことを書きすぎて、もはや書いてる自分でさえ食傷気味になってます。

でもそれでも、僕はこれからも自信についての記事を書くのを辞めないでしょう。

 

なぜかって言ったら、それは僕に自己肯定感が備わっていないから。

 

誰もが当たり前に持っているはずの自己肯定感を持ち合わせていないんです。

一時的に手に入れられても、それは仮初の自信にしかなりません。

時間が経てばまた自信のない一人の青年に逆戻りしてしまいます。

 

せっかく自己啓発で手に入れた自信もそう長くは続かないのです。

自信を維持するのに必要なのは、メンテナンス(復習)と補強(誇張)です。

 

大げさなくらいの自己肯定を何度も何度も繰り返すことによってしか、後天的な自信を手に入れることはできません。

特に僕のように元々の自尊心が低すぎた人には、劇薬でないと効果は出ないです。

 

だからこそ、僕はこんな分かりきった自己啓発を何度も繰り返すわけです。

 

受容でなく肯定

自信をつける方法といえば、よく「自己受容しよう」というフレーズを目にすると思います。

肯定でなく受容をすることによって、ありのままの自分を受け入れられるというカラクリです。

 

うん、これに関しては僕も"自己受容"的な考え方の方が良いと思います。

肯定だと、ダメな自分を受け入れられなくなってしまいますから。

 

ただ…

僕は、最初に受容して、後に肯定するのがより良いのではないかと思っています。

 

・まず初めに、ありのままの自分を受容する。

「自分にはダメなところもあるけど、ちゃんと良い部分だってあるんだ。」

・そして次に、ありのままの自分を肯定する。

「自分が自分を大事にしないなんてのを道理がおかしい。自分こそが一番だ。」

 

段階的に自尊心を増やしていくことで急激なショックを軽減します。

 

ただやっぱりどっちが大事かってなると、肯定の方が大事だよなあ。

 

受容っていうのは所詮ニュートラルな状態に過ぎないんですよ。

いわゆる可もなく不可もなくっていう状態です。

 

反面、肯定は圧倒的にプラスの正の方向にベクトルが向いています。

最高の気持ちよさで、最高の幸せを手に入れるには、自身を肯定して圧倒的な自信を手に入れる必要があると僕は思うわけです。

 

そこに他人などという概念は介在しません。

 

元最弱だからこそ最強になれる

なんか厨二なタイトルで嫌ですが、これが割と真実なんじゃないかと思います。

 

僕の自尊心は全人類の中で最も低かったからこそ、僕はこの世で最も自信のある男になれるんです。

 

だって、元からそこそこ自信がある奴は、「自信が喉から手が出るほど欲しい」だなんて思わないわけでしょ。

彼らの自尊心はそこでもうストップして、一生立ち止まり続けます。

 

でも、僕は違う。

僕は今までの経験で"後天的に自信を得る方法"をいくつも編み出してきた。

何も努力をしてこなかった人たちに比べて、圧倒的な準備がある。

 

そして、「この世で一番自信のある男になろうとする」気概も持ち合わせている。

常に仮想敵に怯え続けて、身に付けてきた論理武装は伊達ではないはずだ。

 

「最も価値のある」人間になりたい

僕はなりたい。

この世で最も価値のある人間に。

 

何も、周りの他人にまで思ってほしいとは考えていないさ。

僕は自分の心の中だけでいいから、こう思いたいんだ。

 

自分こそがこの世で最も価値のある人間だってね。

 

そして、そう願った時点でその願望はもう成就している。

 

自信とは主観の問題に過ぎないのだから。

 

 

 

 

てところで終わりにする。

 

それでは、また。