未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

HSP(過敏感)の筆者が、人・作品・自己啓発についての考察記事を書いていきます。

最高に最低な人生の楽しみ方

 

どうも、ハイネスです。

 

いや、皆さんお久しぶりです。

 

新年度が始まってからというもの、何と言うか腰を落ち着かせて考える機会というのが減っている気がします。

こうしてブログの記事として文字を打つためにキーボードを弾くためには、どうしても一度立ち止まって思考を整理する必要がありますからね。

 

「なぜ自分は考えるのだろうか?」

 

そう改めて考えてみると、"自分を認めてあげる"ためにやっているとしか答えが浮かびませんでした。

おそらく、僕の自己肯定感というものが根っから低く、自分にとっての過度な刺激を排除したいと思ってしまうのが理由でしょう。

 

ただ、もう自分の人生にはこの選択肢しか残っていません。

 

最高に喜びながらも最低な捉え方しかできない、そんな人生の楽しみ方はダメですか?

 

 

 

思春期男子からの卒業

5年前の自分と今の自分で何か変わったことがあるかと考えてみたら、これが一番最初に浮かんできました。

つまりは、思春期からの卒業です。

 

自分と異性との違いに気づき、周りの目というものが過剰に気になり、小さなことでも大きく感じてしまう。

この時期は、未熟さが残っていると同時に、成長を加速させる"多感さ"もよく備えています。

 

「え、ハイネスくんもオ〇ニーとかするの?」

 

割と真面目な方であった自分にとって、この手の男子によくある質問でさえ、捌き方が全く分かりませんでした。

自分の性事情について語るのがもう恥ずかしくて、恥ずかしくて。

 

幸いにも不穏な空気を察する能力は高かったので、自分のプライベートな話になりそうになるとその場から逃げるようにしていました。

もし大衆の前でそんな質問に答えなければいけない機会があったとしたら、舌を噛んで自ら命を絶っていたかもしれません。

 

でも、、、でも、そんな僕は3年前に初めて気づきました。

 

「エ〇チなこと話すのって何も恥ずかしいことじゃないじゃん!」

 

これは自分にとっては本当に衝撃なことで、物心付いてから初めて感じた自我の目覚めでした。

なんじゃこれ、すげええええええ。なんて語彙力を失った雄たけびを上げてしまうくらいです。

 

この感動をどうしても誰かと共有したくて、そこそこ仲のいいレベルの友達に、熱く説き伏せるように僕は語りかけました。

 

「なあ、知ってるか?性を語ることは何も恥ずかしいことじゃないんだよ。

そもそも俺らが生まれてきたのだって、両親が………まあ、これは無粋だな…笑

つまり、我々が人間という動物である以上、交尾に対して興味が湧くのは必然なんだ。

逆に『そんなのには興味がありません』なんて奴は人間としておかしい奴なのさッ。」

ってドヤ顔で言ってやりましたよ。

 

ノーベル賞授賞式で新しい理論を提唱する科学者ばりに堂々とした態度で、自分の発見について解説したんです。

そうしたら、その友達はこう返答しました。

 

「ん?それって、当たり前のことじゃね?笑」

 

率直に、裏切られた気持ちになりました。

自分の考えが素晴らしいものだと受け入れられると思っていたのに、返ってきたのはあきりたりでつまらないという感想です。

 

僕が、20年も生きてきて、やっと見つけたこの一つの真実を。

今まで普通に生きてこられた人間たちは、簡単に踏みにじっていってしまう。

 

ここから僕の人生観は歪んでいきました。

 

当たり前を理解できないのなら…

先ほどの事件から得られたものが一つあります。

 

それは、自分は当たり前を理解することはできないが、脳に"ある事実"を焼き付けることはできるということです。

 

つまり、思い込めばいいんです。

たとえそれが真実でなかったとしても、自分がそれを真実であると思えたのなら、それは紛れもない真実になります。

 

当たり前のことすら理解できない少数派の人間であったからこそ、その反発として、"後天的"に全てのことを当たり前だと思えるのです。

自分が至上の喜びを得られるのであれば、自分の考え方を曲げることにすら何の痛みも感じません。

 

そう、本能から理解しました。

 

閉鎖的万能感

自信を得るためには成功体験を積み上げていくべきだ、という話がよくあると思います。

では、我々はどんな成功を積み上げていけばいいのか?

 

積み上げるべきは、"自分"の世界と"他人"の世界が切り離されているという感覚です。

 

自分の感情は全て自分によりコントロールされ、他人からの介入を受けないと意識することで、揺るぎない万能感と溢れんばかりの多幸感を得ることができます。

この精神的に自立している状態に至りたいんです。

 

ただ、しかし、この状態はひどく歪んでいます。

 

自らが他者の領域を侵すことに喜びを感じ、他者が自らの領域に踏み入ることに憤りを感じる。

全てを自分中心に回そうとする考え方です。

 

「この世界の意義を決定する人間は、ただ一人"自分"である」

 

これほどまでに素晴らしい世界観が他に存在しますかね。

だって、自分で何でも決めてよくて、自分の思い通りにことが運び、それらは全て自らの幸せに収束するんですから。

 

現実での効力感を得られないような人間に残された最後の手段として、自分の頭の中の閉鎖的な領域における万能感は非常に大切だと個人的には思います。

そして、その疑似的な万能感が少しでも現実に反映されるのであれば、これほど嬉しいことはないでしょう。

 

僕は現実において、とても誠実で紳士な人間でいることができる。

なぜなら、内面において、僕は他の誰よりも醜く幸せになることができるのだから。

 

 

 

 

 

というところで、今回は以上。

 

それでは、また。