未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

考える。ただ、考える。

僕が死ぬまでブログを辞めないであろう理由【無形恐怖症】

 

おそらく、

 

おそらくだが、

 

僕は死ぬまでブログを辞めることはないだろう。

 

事実、このブログは去年の4月から始めて現時点まで約1年7か月続いている。

 

初心者が辞めてしまう分水嶺はとっくに過ぎていると思う。

 

過去に「3か月更新なし」を経験したこともあるが、それでも僕は戻ってきた。

 

 

では、なぜブログを辞めないで続けているのか?

 

 

それはもちろん、ブログを通して自分を表現することが好きだからだ

 

 

 

 

…なんてことを言うつもりはない

 

 

そんな生半可な動機なら、正直ここまで続けることはできなかっただろう。

 

3か月更新してない経験がある時点で、ブログを書くこと以外に楽しい事がいっぱいあったってことだ。

当然、今もブログがオンリーワンの楽しみだなんて全くもって思っていない。

 

パソコンでYoutube見ながら、スマホでネットサーフィンしてる方が何倍も楽しい。

 

 

だが、

一番楽しいことでなかったとしても、やはりブログには魅力がある。

 

だからこそ今まで続けてきたんだ。

 

今回はその理由を分析してみたので、書いていく。

 

 

 

ブログ=僕の存在意義

ブログを書くことの価値は人それぞれで違ってくるだろう。

 

あくまで趣味の一つとして気楽にやる人もいれば、生活の主軸に置いて没頭する人もいる。

千差万別であり、全てを区分するのは難しいと思う。

 

だから、今回は僕の場合の話だけをする。

 

僕にとって、ブログとは"存在意義"である

 

僕が生きていることの価値は「ブログを書いてる」ことによって担保されていると自覚している。

つまり、"ブログを書いていない僕"に価値はない。

 

僕は毎日を何気なく過ごしているわけだが、ブログを辞めたとたんに精神が崩壊であろうことは容易に想像できる。

現状、それほどまでにこのブログは僕の自尊心を押し上げてくれているのだ。

 

「僕はブログをやっている。偉いんだ。胸を張って生きててもいいんだ……」という少々情けない事実を守るためだけに、頑張って続けていると言っても過言ではない。

ブログを辞めてしまえば必然的に自尊心は急降下していき、気が狂いそうな感覚を覚えるかもしれない。

 

僕は重度の無形恐怖症

僕は、普通の人とは少し異なる性質を持っている。

 

それは、無形(むけい)恐怖症というものだ。

 

聞き慣れない人が多いと思うが、大丈夫。僕の作った造語だから。

 

簡単にまとめると次のような意味になる。

 

無形恐怖症

「形の無いもの」に恐怖を感じる症状。

楽しかった思い出、大変な仕事をこなした経験、などの"記憶"にしか残らないものに価値を見出せない。「何かを為さなければいけない」という焦燥感に常に駆られている。

 

出典:ハイネス(id:hainesu)

 

僕は「形の無いもの」を得るのは好きではなく、恐怖すら感じてしまう。

 

一日の間に何か「形のあるもの」を残せていないと、焦燥感と自己嫌悪がこみ上げてきて寝付けなくなる。

 

 

 

言葉で説明するのも難しいので、話し口調でここから説明する。

 

よーし、寝るか。(ベッドイン)

 

(寝るまでの逡巡)

ああ、、、そういえば、今日は上司に怒られちゃったなあ…。

あの取引先との対応って、どうするのが正解だったんだろう。

結局、逆のことをやってても失敗しただろうしな。

 

いや、待てよ………。

それなら、今日の失敗は僕の責任じゃないよな?

上司の管理責任の方が何倍も大きんじゃないか?

そうだ、これは上司の責任だ!

 

(ベッドから起きてパソコンに向かう)

だが、こんな負け惜しみを僕の頭の中で展開したところで、何の意味もない。(無形恐怖症)

形に残さなくては!!!

記事にするんだ。

『部下の失敗の99%は上司の責任。使えない上司に諂うのはもう止めた!』

こんなタイトルでどうだ。

僕は次に上司との諍いが起きた時のために"準備"しなければならないんだ!!!

そのための論理の武装を"形"として残さなければならないんだ。

"記事"として残しておくだけで、コイツらは僕に無尽蔵の勇気を与えてくれるのだ。

 

っていう感じで、頭に思いついた考えは全て"記事"という形で残さないと気が済まない。

たぶん、元々の記憶能力が低いんで、形として残さないとすぐに忘れちゃうんだと思う。

 

一度思いついた「自己肯定できる理論」を忘れてしまったことを想像すると、僕は身の毛もよだつような恐怖を覚える。

もったいない、もったいない。記事として保存しておけば、永遠に忘れないで済むのに…。

 

ブログ記事とは僕の生きる意味、僕の自己肯定という道筋を保存してくれる存在なのだ。

(一応、哲学記事以外の"ネタ記事"も面白いアイディアの保存という意味で無形恐怖症の一貫になる。)

 

ブログを辞めちゃう人たち

多くの人がブログを始めても、その中で続けていく人は一握りだそうだ。

 

ほとんどがつまらなくなって辞めていく。

あるいは、何か重大な決心をして辞めていく。

 

ブログを辞めてしまう人たちには、僕のように切羽詰まる何かがなかったのだろう。

あるいは、無意識に書いてしまうくらいの習慣を作れなかったのだろう。

 

 

少しずつ、だが確実にみんな辞めていく。

 

 

そして、誰もいなくなった。

(初期の読者登録者はもう…)

 

 

 

 

 

って言ってる奴でさえ、まだブログ開始して1年半しか経ってないという事実。

 

もうこれどうなるか分かんねえな。

 

それでは、また。

(次があるとは言ってない)