未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

考える。ただ、考える。

このブログの宗教性について

 

最近ブログを書いていて思ったことがある。

 

「これ哲学じゃなくて宗教じゃね…?」

 

 

 

 

知識ゼロだが「宗教」で幸せになるわ

やばい。

この字面はやばいだろ。

 

こんなタイトルでブログやってたら、日本じゃ異常者認定されちまうよ。

 

何この「知識はなくても大丈夫ですよ!私たちは誰でも受け入れますから!」みたいな怪しい雰囲気は。

 

  • 知識なし(誰でも歓迎)
  • 「宗教」(\\\\\宗教/////)
  • 幸せ(入らないと損)

っていうトリプルパンチの圧倒的宗教性な。

 

つまり、このブログの正常性は「哲学」という一単語によって担保されてるわけだ。

 

どこら辺が宗教っぽいのか

このブログは基本的に、僕が"持論"を展開することによって構成されている。

科学的な根拠に基づいて話を進めることはあんまりない。

 

僕という教祖が作り上げる世界観を読者に一方的に押し付ける形になっている。

 

僕が「右」と言えば「右」。

「左」と言えば「左」となる。

 

これでまともなことを言っていれば多少はマシなのだが、割と過激なことを言ってしまっている節がある。

ハッキリ言って他人から見れば気持ち悪いだろう。

 

外野から見て異常に感じるという特徴は正に宗教のそれだと思う…。

 

なぜ宗教っぽくなってしまうのか

軽く自分のブログについて分析してみた結果、何となくだが「宗教っぽくなってしまう」原因が分かってきた。

 

哲学が宗教に変わってしまうのは、やはり偶然ではなく必然な流れみたいだ。

 

①哲学とは解釈だ

「そもそも、哲学って何だ?」と聞かれたら、それは解釈のことを指すのだと思う。

 

「私は世界の仕組みはAパターンで構成されていると思う」

「僕はBとCの組み合わせで、もっと曖昧なものだと思う」

というように、絶対に不変に予め存在している世界をどう解釈するかという問題だ。

 

だから、人それぞれでどんな解釈をしても問題はない。

 

たとえ過激な解釈だとしても、それがその人の哲学なのだから。

哲学とは常識を超えたその先にあるものだ。(それっぽいなぁ)

 

②-を+にするのにエネルギーがいる

僕にとっての哲学という営みは、決して平たんなものではない。

 

なぜなら、もともと-な状態から+に持って行かんとする力強さを要求される行為だから。

 

しかも、+と言ってもただの+ではない。

この世界で最も正な+。

数学的に言うと、+∞。正の無限大だ。

 

つまるところ、僕は劣等個体(-)から(+∞)まで上り詰めたいのだ。

 

と、ここで神という表現が出ることによって宗教性が増してしまうわけだが、この神は「一番幸せな地球人」くらいに思ってもらえれば差し支えない。

 

そもそも、「神のもとに生き、神の力の恩恵を受ける」なんて言う宗教なんかとは僕の哲学は一線を画している。

僕は神を崇めるのではなく、になりたいんだ

崇めるとしたら、それは神である僕自身でないと成り立たない。

 

そして、神になるためには莫大なエネルギーがいる。

現状の-な僕を打ち崩して、+の極限まで引っ張ってくれるような強力な存在が。

 

それこそが哲学であり持論なんだよなぁ…。

 

【結論】

宗教なんてどうでもいいが、僕は考えて考えて考えまくって最終的に幸せを手に入れる。

 

その過程で宗教という概念がチラついてしまうことがあるかもしれないが、それは仕方のないことだろう。

 

他人からの解釈は僕とは分離していて、それをどうにかすることはできないんだから。

主観的な幸せを目指していくことにおいて、それは大した問題ではない。

 

ただ、、、自分としては、、哲学という「自らの力で未来を切り開いていく」形で進めていきたいとは思っている。

 

 

 

というところで、記事を締めたいと思う。

 

いつかこのブログのタイトルが『知識ゼロだが「宗教」で幸せになるわ』に変わる日が来るかもしれない。

その時は、僕がステキな尊師に出会たのだと思ってもらえれば幸いだ(最悪だ)

 

それでは、また。