未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

HSP(過敏感)の筆者が、人・作品・自己啓発についての考察記事を書いていきます。

ブログなんてやっていても、何も満たされない

 

最近、ネット活動における、飢えが激しい。

 

どれだけ見られても、どれだけレスポンスを貰っても、僕の心が満たされることは一向にない。

 

承認欲求なんてものがあるとして、それは餌を喰らえば喰らうほど、胃の許容量を増やして、新たな獲物を探し求めてしまう。

 

結局のところ、満たされることはない。

 

データとしての数字がいくら増えたところで、恐らく、現実世界の人間一人と数分話すことにすら、充実感は叶わないだろう。

 

つまり、何が言いたいかというと、

今ものすごく飢えている。

 

 

 

何でブログ始めたんだっけ

そもそも、僕は何のためにブログをやり始めたのか、今一度考えてみようと思う。

 

まず、ブログを始めた当初は、自分に対して全く自信がなかった。

 

「自分って暗いよなぁ、でも、意外と才能あったりして…、今僕のことを見てる人がいるかなぁー。」

↑この一文に、過去の自分の気持ち悪さが、全て詰まっている。

 

未発達の精神と思考速度の劣等性を抱えているにも関わらず、自分が周囲の人間から認められるのではないかと、無意味な妄想を繰り広げている。

「自分を中心に世界が回っていると思いたいが、それをするには何とも少し恥ずかしい」という、どっちつかずの甘ったれた思考をしていたことが、今なら分かる。

 

当時の僕の人間性は粗悪だったが、"考え過ぎる"という特性は先天的なものなので、無意識的に思考のはけ口を探し、ブログ執筆へと僕の身体を向かわせたのは、ある意味で必然だったのかもしれない。

 

ただ、まあ、このブログを始めるキッカケを作ってくれたのは、紛れもなく過去の自分なので、人間性は置いておくとして、その一点のみには感謝しておくべきだとも思う。

 

ここ一年で鋭くなった

僕の性格はここ一年で随分と変わった。

 

正確に言うと、自分は"自分の性格"を変えることができるということに気付いた。

 

日々の生活の中で不快に思うことがあれば、不快さを打ち消すように自分を変えていく。

自分の認識を変えていくだけだから、そこに難しさは一欠片もない。

 

不快なものを自分の内から取り除いていくことに、一切の戸惑いが無くなり、そうすることによって、自分が確実に幸せに近づいていけていると、実感することができている。

 

そこで必要な、いわゆる自信というのは、自分が"力"を持っていると自覚することだ。

 

自分と相反する思想を持つ人間をねじ伏せる力、自分に否定的な意見を向けてくる人間をねじ伏せる力、自分が視界に入るだけで不快に思う人間をねじ伏せる力。

 

人生への困難を乗り越える"力"を持った人間は、何も恐れることのない自信を手に入れることができる。

 

優れていなければ意味がない

僕は、「意味がない」という表現が好きだ。

 

というか、「優れていなければ意味がない」という言葉に縛られている。

 

他者よりも優れていないと気が済まないし、実際に他者よりも優れていると実感した時にしか、充実感や幸福感が得られない。

だが、こんな特性を持っていても、常に自分にストイックでいられるはずもなく、基本的には現実から目を背け続けていないと、日常をまともに過ごすこともできない。

 

そして、そんな現実逃避から脱却するために行う営みが、哲学、これは言ってしまえば、自分に対する"言い訳"作りの営みに他ならない。

 

たとえ他人から見向きもされなかったとしても、自分さえ認めることができれいれば、その自分というのは幸福ということになる。

認識の変換、意識の変換、という簡単な脳トレをするだけで、僕はたとえどんな状況に置かれようとも、幸せになることができるのだと考えている。

 

つまり、優れている自分というのを生み出すために、僕は今日も生きている。

 

優れた人間であることの証明

ここで、結論になる訳だが、

ブログとは、自分が"優れた人間"であることを証明するために在るのではないだろうか。

 

人に役立つ情報を書くにせよ、自分の私生活をさらけ出すにせよ、結局のところ、それらが人に読まれるということは、回り回って、"自分が優れている"ということを示す。

読者一人に読まれるごとに、己の価値は高まっていき、優れた者へと至るその実感が、筆者を狂おしいほどに喜ばせる。

 

閲覧や支持者の数が増えるたびに、自分が存在していることの意味が付与されていき、自分が今よりももっと高みへと昇っていけているような感覚に陥る。

 

文字で書くことによって、自らが自らを認識して、他者が自分を認識する。

そして、書くことによって初めて、自分というのは、この世界に実体を得ることができる。

 

ブログとして、形として残さなければ、僕は存在していないのと同じだ。

 

なぜ僕は満たされないのか…

ただ、それでも、僕は満たされていない。

 

恐らく、もういくらブログを見られたところで、自分が優れているという感覚は得られないのだろう。

 

そんな気がしている。

 

人間の認識の限界として、デジタルの数字を見たところで、実際の人の意志を感じることはできない。

 

そんな単純な理由で、僕は満たされない段階にまで来てしまった。

 

 

と言いつつ、何だかんだ、ブログへのモチベーションは下がっているわけでもない

そうでなければ、こんな長い文章は到底書けないだろう。

 

 

というところで、今回は以上。

ブログを書いてる時、思考が研ぎ澄まされるこの感じは何なんだ…。

 

それでは、また。

 

 

↓記事内ではブログを否定しつつ、YouTubeではブログを進める男。

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