未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

HSP(過敏感)の筆者が、人・作品・自己啓発についての考察記事を書いていきます。

「考え過ぎる」ことは個性になるんですかね?【子供から大人へ】

 

どうも、ハイネス(@hai_nesu)です。

 

今回は人の持つ"個性"についての話をしようと思います。

 

では、どうぞ。

 

 

 

君の個性は何だね?

例えば、企業の就職活動の面接で「君の個性は何だね?」と聞かれたとして、皆さんはどう答えますか?

 

性格について答えるのか、それとも、ハマっている趣味や持っている資格について答えるのか。

自分という存在が他の人たちと比べて、どの点において変わっていて特別なのか。

 

普段何気なく生活している中ではおおよそ考えないようなことですから、とっさには思いつかない人も多いでしょう。

当たり障りのない答えですら、何だか気恥ずかしくて言えそうにありません。

 

何となく生きてきただけなのに、自分の人生に一つの筋道を作る必要がでてくる。

 

うーん、どうだろう。

自分って何なんですかね?

 

「考え過ぎる」ことは個性になりうるか

あまり胸を張って言える趣味というものを持っていないので、自分のことについて聞かれるのは弱いんですよね。

 

だから、趣味について聞かれたら、大体はこう答えます。

 

「色々と物事を深く考えるのが好きです!

例えば、『人はなぜ生きるのか』とか考えてます。ヘヘッ 」

 

読書が趣味とか答えてた時もあったんですけど、冷静に考えてみると一年近く本読んでないんで、嘘をつくのは辞めてみました。

 

相手から抱かれる印象とか、その後の返しとは少し面倒くさいんですけど、話題としては膨らみやすいんで個人的には割と気に入っています。

というか、それ以外に答えられるものがマジでないです。

 

「コイツ毎日何して生きてんだよ…」って思われるくらいなら、内容が多少おかしくても言った方がマシかなと思ってます。

そうしないと、初対面での会話がスムーズにいかないですからね。

 

忙しい時は、割と何も考えてない

これが問題なんですよね。

 

考えるのが好きと言っていながら、忙しい時は割と何も考えずにただ漫然と生きてます

忙しい時に限れば、ほぼほぼ健常者の方と変わらないような生活ができているんじゃないですかね。

 

まあ、別にそこで個性がなくなってもいいとは思うんですけど、何か心の中で違和感がありました。

 

それは、

個性は何かと聞かれる=現実で人と話している=リアルが忙しい=何も考えてない=個性が消滅

という循環ができているからです。

 

つまり、非現実的な領域に長けている人間は、現実に心を傾けた段階でその特性が消失してしまうんです。

 

現実と非現実との間のジレンマです。

 

どちらかを追い求めれば、必ずどちらかはこぼれ落ちてしまうような気がします。

 

大人と子供の境界なのかもしれない

現実と非現実にそれぞれ特徴を付けるとすれば、それは大人と子供に分けられると思います。

 

大人であれば、背負う責任が増え、守るものも増えていき、より現実を生きるようになります。

やらなければいけないことが多すぎて、見えないものにかまけている時間はありません。

 

反対に子供であれば、責任は何もなく、自由な選択肢のもとで、非現実的な夢を見続けます。

やらなければいけないものから目を逸らし、好きなものに熱中することが許されています。

 

今目の前の現実を受け入れるか、ありもしない未来を夢見るか。

両者の間の違いはここにあります。

 

だからこそ、考え過ぎる(=無駄な)ことは幼少期に卒業するものだと見なされているのでしょう。

 

社会人にはそんなことで悩むような時間はないですから。

家に帰っても翌日の仕事の準備に追われ、ベッドに入ればすぐに眠りに落ちてしまいます。

 

じゃあ、、、

意味もなさそうなことをウジウジ考えることに意味はないんですかね?

 

自分を見失わないために考える

「人はなぜ生きるのか」

「人はなぜ求めるのか」

「人はなぜ苦しいのか」

 

これらの問いに答えを見出したところで、自分を取り巻く現実は大きくは変わらないでしょう。

 

他者や環境は変わりません。

変わるのは"自分"だけです。

 

あなたが何かを深く考えたのであれば、残るのは「あなたが結論を下した」という事実です。

 

それで何も変わってなかったとしても、あなたの脳ミソはきちんと感じています。

 

「ああ、自分は自分なんだ」って。

 

現実で思い通りにいかなくて、どうにも自分の価値を感じられなくて、次第にもうどうでもいいと思えてきて。

自分には大した可能性がないことに気づきそうになってしまう。

 

でも、そんなのは、嫌だから。

 

自分に無限の可能性があることを頭の中に思い描き。

それが少しでもリアルへと干渉するようにと想い焦がれる。

 

意味のないことを考えてる時が一番楽しいのなら、それはもう立派な人生なんじゃないかと、個人的には思います。

 

 

 

 

というところで、今回は以上。

 

それでは、また。