未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

HSP(過敏感)の筆者が、人・作品・自己啓発についての考察記事を書いていきます。

日常はそんなに悪くないんだけど、充足してるかというとそうでもない

 

どうも、ハイネスです。

 

自分は内向的な性格をしているので、普通の人に比べると感受性は豊かな方だと思っています。

小さな物事からも多くの情報や感情を受け取ってしまうことが、日常でも多々あります。

 

それで思ったのですが、現実のこの世の中って何か物足りない気がしませんか?

 

頭の中ではいくらでも妄想を広げることができ、何を考えるかも自分の自由に選び取ることができるのに、現実では大して物事を変えることなんてできなくて。

自分のイメージする理想の世界をどんなに美しく描いたとしても、それは現実に反映されることなく、虚しく空回りするだけです。

 

自分のこの脳の中にはこんなにも素晴らしい世界が広がっているのに、それが現実としてこの世に具現化することは決してありません。

 

内面と現実との激しい乖離が生じているような気がします。

何とも言えないもどかしさが喉の奥につっかえていて、時々息苦しささえ感じます。

 

どうして僕が見ているこの世界を、他の誰とも共有することができなくて、自分が何を思ったところで、この世界はなんにも変わることがないだなんて、それじゃあ自分が生きる(考える)意味なんてないんじゃないかのか、と。

 

「自分が今考えていることは無駄なんだ」と自分の無力さを感じた時には、現実との接触を辞めて、ひたすらに自分の世界へと籠りたい衝動に駆られてしまいます。

 

 

 

 

なぜ現実は自分の思い通りにならないのか

これは子どもが最初にぶつかる壁です。

 

ただ一方的に要求するだけで全てを手に入れることができていた赤子は、成長して親以外の他者と触れ合う過程で、世界の中心に自分がいないことに気づきます。

幼児的な万能感を捨て去り、自分の立ち位置を見極めた、現実的な幸せの在り方というものを知っていきます。

 

誰もが知ってる当たり前の事実として、現実は自分の思い通りにはいかないようです。

 

うーん。

 

どうしてでしょうか?

 

どうして、現実は自分の思い通りに、素晴らしく、美しく、自分のためだけに歪んでいて、容易く、苦のない世界であろうとはし“ないのでしょうか?

 

これは疑問ではありません。

純粋なる人の理想を、この世界が踏みにじっていることへの憤りと違和感です。

 

自分が幸せになる方法を探し始めてから、モヤのように頭に留まり続けてきた根源的な問いです。

当たり前のことであるがゆえに、決して自力では否定できず、今もなお僕にロジカルハラスメントをし続けています。

 

理想を描き、それを叶えるために努力し、理想に近しいモノが実現される。

 

理想を描き、____________、理想に近しいモノが実現される。

 

理想を描き、____________、理想______が実現される。

 

なぜ理想は描くだけでは実現しないのでしょうか?

 

自分の内面に引きずり込まれそうになる

僕は常に、内面にいる自分自身の前に、正座をさせられ続けています。

 

そこにいるもう一人の“ジブン”は、僕の意志に関わらず、四六時中何をするにも永遠と語り続けてきます。

「今日は何をするんだ?」「そんな下らないことをするのか?」「そもそも、お前は何だ?」「自分に生きていて意味があると思っているのか?」「もっと素晴らしい人間になろうとは思わないのか?」「俺のことをどう思う?」「俺はお前で、お前は俺だぞ。」

 

言っている意味がよく分からないので、「そんなことを聞いてきて何がしたいんだ?」とジブンに質問をし返してみると、

「意味はない。お前の思考を止めさせないことだけが俺の仕事だ。」とだけ返答されました。

 

ジブンは意外にも優しく答えを教えてくれました。

まあ、ジブンは自分なので当たり前のことなのですが。

 

彼は何の目的もないままに、何の悪意も善意もないままに、ただの脳の構造から生まれた一部として、僕に「考えろ」とだけ語り掛けているように作られているようです。

そんな彼に対して、憎しみの感情を抱くというのも見当違いなような気がして、上手い付き合い方を覚えていくしかないのだろうと、割り切って考えられるようになった時にはもう既に、

 

ジブンと話すことこそが人生であり、ジブンを介さなければ人生の充足など感じられなくなっていました。

 

日常で何か楽しい出来事があったとしても、そんなことはどうでも良くて、すぐにジブンに語り掛けたい衝動に頭が支配されます。

「ああ、今日は楽しい日だったのかな…。なあ、ジブンはどう思う?」

「楽しいとは何だ?」

「楽しいって言うのは、自分の願望が叶ったり、興味を持って行動してる時の感情だよ」

「願望とは何だ?」

「願望って言うのは、自分が描いている理想の未来図みたいなものかな」

「理想とは何だ?」

「うーん、難しいな…」

「理想とは何だ?」

 「まあ、大手企業に就職して、お金もたくさんあって、良い家庭を築いて、部下からも慕われて、、、とにかく周りが羨むような人生を送ってみたいな」

「それが楽しいのか?」

「まあ、実現出来たら、楽しいんじゃないかな」 

「実現できるのか?」

「いや、これはただの理想だから、実現できるわけないじゃん」

「楽しくなりたくないのか?」

「楽しくはなりたいけど、現実的に妥協できる所を探すのが大人だろ!」

「認められたくないのか?」

「そりゃ、認められたいよ。全ての人からすごい人間だって尊敬されたいよ」

「なぜ本心を隠すのか?」

「無理だからだよ。この現実を思い通りに過ごすなんて不可能だからだよ!」

「それで満足しているのか?」

「まあ、特に不満はないよ」

「ん?なんだ、矛盾していないか?」

「矛盾はしていない」

「何に支えられているんだ?」

「この世界の全ての人類に」

「なぜ支えられているんだ?」

「彼らは僕が幸せになるためだけに存在しているから」

「解釈が歪んでいないか?」

「歪んでいる」

「歪みを直さないのか?」

「直すはずがない。これは一つの趣味であり娯楽だからだ。休日に友達と外へ出掛けるのと同じように、自己陶酔することで英気を養っているだけなのだから」

「それが楽しいのか?」

「楽しいよ」

「なら、お前は今人生を楽しめているんだろうな」

 

 

出来事をそれ自体ではあまり楽しめず、自分の中でよく咀嚼している時に初めて、本心から楽しいという感情が沸き上がってきます。

 

人があまねく事実を客観的な事実として、ありのままに捉えることができないとして、誰しもが各々の歪んだメガネを通して事実を解釈しているのだとしたら、

考えれば考えただけ、物事を正しく見ることはできなくなっていって、

それがゆえに、内面に向き合えば向き合うほど、現実を歪ませて捉えることができるようになります

 

人生ってそういう歪なものなんじゃないですかね。

 

全てが面倒くさい

要は、全てが面倒くさいんです。

 

何を手に入れるにも労力が必要で、生きていくためには労働をしなければいけなくて、何をするにも口うるさいジブンが付きまとい、見返り以上に疲労感が溜まっていって。

ふと冷静になり立ち止まってみると、目の前には無数の情報と障害と困難が広がっていて、それらを自分が一度認知した瞬間から、指数関数的にノイズはさらに膨れ上がっていきます。

 

ハッキリ言って、この世界には面倒なことが多すぎます。

 

「俺様は優れている」くらいに常に思っていないと、自分の存在が霞んできて何だか目眩がしてきます。

 

イヤだ。イヤだ。

くるしい。

こんな世界からもう逃げ出したい。

ドらえも~ん。

 

ってな感じでもう生きづらいので、そろそろ現実から逃避したいと思います。

 

 

今回は以上。

それでは、また。