未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

HSP(過敏感)の筆者が、人・作品・自己啓発についての考察記事を書いていきます。

良いことを書こうとすると、なぜか、手が止まる

 

基本的に、ネットの世界では、良いことを発信している人が多い。 

 

「〇〇の人たちは、私と一緒に頑張っていきましょう。」

「ああ、私は良い人たちに囲まれて幸せだなあ。」

 

だが、なぜか、僕はこうした良いことを発信しようとすると、手が止まってしまう。

 

ツイートを140文字書いたところで、全て消してしまう。

ブログ記事を1000文字書いたところで、全て消してしまう。

 

僕は良いことを書くことができない。

 

なぜか、できない。

 

良いことを呟いた方が、周りからの印象が良くなるのは分かっているが、 どうしても綺麗なことを発信することができない。

 

誰かを傷つけるかもしれない文章しか、書くことができない。

 

少女が自らの手首を切って自傷するように、自分の不利益になるであろう情報を発信してしまう。

 

今回は、この理由を解き明かしたい。

 

 

 

"感動"が猛烈なスピードで色あせていく

僕は、別に、感情を持ち合わせていないわけではない。

 

例えば、ドラマで主人公が失恋する場面を見れば、悲しい気持ちになって涙まで流れる。

他にも、ドキュメンタリーで受験生が志望校に合格すれば、興奮して雄たけびを上げることもある。

 

だが、そうした感動の気持ちがありえないほどの猛烈なスピードで色あせていき、5秒後には無の感情が襲ってくる

 

僕には、気持ちの変動を保持しておく能力が、圧倒的に欠如している。

どれだけ感動したとか、どれだけ悔しい想いをしたとか、一日経つとほぼ全て忘れてしまっている。

 

人の感情が動くことに対して、価値を見出していない。

 

つまり、「見た人を感動させることで、勇気を与える」という概念を理解することができないのだ。

 

ある作品を見て感動したとしても、その刹那的な想いは、僕の中で一瞬にして消え去ってしまう。

表面上の感動を誘うような作品は、僕の超速度の認識に耐えることができず、ロウソクの火のように、儚げに消えてしまう。

 

僕が持つ、感情を介在しない世界観においては、感情以外のきらめく要素がないと、価値を見出すことができないわけだ。

 

他人の本性を暴きたい欲求 

僕は、他人の本性であったり、物事の裏の真実を暴くのが好きだ。

 

なぜなら、他人の欠点を知るということは、他人の存在を貶めることであり、自分の存在に安心感を持てるようになるからだ。

「他人は自分と同じくらい、くだらない」ということを理解することほど、自分の気持ちを落ち着かせてくれることはない。

 

自分に自信を持てない人間にとって、これほど良い方法もないだろう。

 

 

僕は、僕の持つ性質に対して、自信を持つことができない。

だが、僕以外の全ての人間が等しく、欠点を持っているのであれば、僕は僕に対して自信を持つことができる。

 

僕が優れていることを証明するために、僕は他人が優れていないことを証明する。

 

そして、やはり、人の本性が明されるということは、その存在が陳腐なものに成り下がることと同義なのだ

 

例えば、マジックが価値を持つのは、その仕組みが分からないことにある訳で。

ミステリアスであることにこそ、その対象の価値というのは内在している。

 

例えば、月の裏を一生見られないのだとすれば、人はその情景を無限に想像することができる。

知らないからこそ、未知であるからこそ、価値というのは幾千にも広がっていく。

 

だから、僕は、末恐ろしいほどの才能を持つ、君の底の浅さを、君にまざまざと見せつけるんだ。

 

ただ、一つ、自分のためだけに。

 

終わり

何か、変な方向に進みそうな気がするので、ここらで終わろうと思う。

 

今回は、完全に"言い訳"だなあ。

 

正常でない自分への言い訳。

 

まあ、あまり気にする必要もない気はするが。

 

 

 

というところで、

 

それでは、また。