未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

HSP(過敏感)の筆者が、人・作品・自己啓発についての考察記事を書いていきます。

【考察】なぜ人は「死にたい」と思いつつも「死ねない」のか?

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「生きていて辛い。もういっそ死んでしまいたい」

なんてことを、誰しも人生で一度は思ったことがあろうではないだろうか。

 

だが、それで実際に死を選んだ人がいるかというと、ほとんどいないだろう。

 

この一見して矛盾しているようにも思える事実。

 

なぜ人は「死にたい」と思いつつも「死ねない」のか?

今回の記事では、これについて考察していく。 

 

 

 

なぜ死にたいと思うのか?

そもそもなぜ人は死にたいと思うのか。

まずは、その理由を知ることが重要だ。

 

死にたい理由としては次の2つが挙げられる。

  1. 日常において辛いことが多い。
  2. また、その辛さから逃げることができない。

 

死にたいと思っている人の多くは、日常において多大なストレスを抱えている。

「ああ、疲れた。しんどい。もう、嫌だ。一生、家に引きこもっていたい。」

 

そして、その辛い現実から逃げることができない状態にいる。

「でも、外に出ないと生活できない。周りに気をつかわないと社会的に終わる。」

 

こうした逃げ場のない地獄に居座ることによって、彼らが何を思うのかというと…

「ああ、死にたい」

 

これは、当然の結末だ。

 

本質は「死」ではなく「逃避」

前項の死にたい理由から何が分かるかというと、人が持つ死の欲求の本質が、辛い現実からの「逃避」にあるということだ。

 

つまり、辛い現実から逃げたいだけであって、別に死にたいとは思っていないのだ。

死に対して特別な感情を抱いているわけでなく、現実から逃げる手段として最も適切だと判断しているだけに過ぎない。

 

逃避への強い渇望はあるが、死への欲求はそれに付随しているだけなのだ。

だからこそ、死という大きなハードルを越えることができず、踏みとどまってしまう。

 

現実が変わってくれるのであれば、死ぬなどという怖い思いをする必要はないのだから。

 

しかし「死」と「逃避」は相反する

人は現実から逃避するために死を選ぼうとする。

 

しかし、実際は、人が死ぬためには辛い現実と真正面から向き合う必要がある

「死にたいから、死のう」などと、簡単に済む話ではないのだ。

 

ネットで楽に死ねる方法を探して、死ぬための道具を買い揃えて、死ぬための場所を決めて、死んだ後のことを考える。

こんな大変な準備をしている間も、常に死への恐怖と戦わなくてはならない。

 

死にたいと思い心を病んでいる人にとって、このプレッシャーを跳ねのけて死を決意する勇気が持てるかというと難しいだろう。

こんなのは、栄養失調で苦しんでいる人が自分の臓器を売って点滴を打ちに行こうとしているようなものだ。

 

現実から逃げるために最良だと思われる手段が、最も現実と向き合わなければならないという矛盾。

そして、その先に幸せが待っているかというと、そうではない。

 

人は死後の世界を認識できない

死ぬことが幸せかと聞かれても、誰も答えることはできない。

なぜなら、人が人である限り、死後の世界などというものを認識することはできないからだ。

 

人は時間であったり空間といった概念を介さないと、物事を認識することができない。

例えば、空間という概念を排除した"宇宙の外側"をイメージできる人はいないだろう。

 

同じように、死後の世界は認識できないのだ。

 

だからこそ、全く理解の及ばない「死」というものに対して、人はとてつもない恐怖を覚える

 

幸せとか不幸だとか、もはやそんな人間の軸では測ることすらできやしない。

死んだ後は、そんな人間の理解が及ばない状態へと至る。

 

死とは楽になることではない。

ただ、「人間ではなくなる」ということだけだ。

 

【結論】死ぬ以外の方法を探そう

最終的にありきたりな結論になってしまった訳だが、客観的に考えても人は死ぬべきではないと思う。

 

死に関しては人それぞれ意見が分かれるところだろう。

だがこれが、筆者の意見だ。

 

今回は以上。

それでは、また。