未熟者の哲学語り

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能力的には凡庸でありながら、「考え過ぎる」性を身に宿してしまう。そんな男のはけ口のブログ。

【考察】カフカの『変身』 朝起きると自分が一匹の巨大な虫になっていた。君ならどうする?

先日、以前から興味があったカフカの『変身』を読みました。

 

変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)

 

 

この作品には、人間存在の不条理というテーマが隠されています。

 

私もまだそこまで長く生きているわけではありませんが、この不条理という言葉には妙な説得力を感じさせられます。

 

本書は100ページほどの短い小説になっているので、忙しい社会人でも内容を忘れないうちに読み終えられる本になっています。かくいう私も、内容の面白さと文体に惹かれ、一晩で読み終えてしまいました。

 

しかし、本書を読み終えても、すっきりとした気持ちになることはありませんでした。

 

なぜ、頭の中がモヤモヤしたままなのか。その理由は、本書の内容が様々な解釈をよしとするものだからです。

 

今回は、そのあたりの解釈の仕方を私なりに、既読・未読の両方の人に向けて綴っていきたいと思います。

 

 

作者フランツ・カフカの人物像

本書『変身』について語る前に、作者フランツ・カフカの性格作風について知っておきましょう。長ったらしく説明しても眠くなるだけなので、誤解を恐れず簡単に紹介します。

 

カフカの性格 

フランツ・カフカは内気さ、臆病さなどを抱えた内向的な人物です。彼のそうした性格は、幼年時代に父親から強く抑圧されていたことに起因しています。

ちなみに、本書の表紙の写真は実際のカフカの顔写真で、40歳という若さで亡くなる少し前に撮られたものだそうです。どんなことを思っての、この顔だったのかは今となっては誰にも分りません。

 

カフカの作風 

カフカは孤独な少年時代、ユダヤの子孫としての迫害、役人と作家の二重生活、父との対立、二度の離婚、といった自らの経験した諸問題を作品に投影しています

ほとんどの経験が苦しいものだというのは、哲学者というか文学者が故ですかね。 

 

本書の概要

まずは、本書の概要から触れてみましょう。次に載せるのが本書の裏表紙に書かれている内容紹介(あらすじ)です。

 

ある朝、気がかりな夢から目をさますと、自分が一匹の巨大な虫に変わっているのを発見する男グレーゴル・ザムザ。なぜ、こんな異常な事態になってしまったのか……。謎は究明されぬまま、ふだんと変わらない、ありふれた日常がすぎていく。事実のみを冷静につたえる、まるでレポートのような文体が読者に与えた衝撃は、様ざまな解釈を呼び起こした。海外文学最高傑作のひとつ。

『変身』(新潮文庫)ー裏表紙

 

読みましたか? なんとなく、とっつきやすそうな内容だと思いませんでしたか。

 

ひとりの男が朝目覚めると一匹の巨大な虫になってしまうのです。最近のドラマやアニメでありそうな展開…いや、虫ということになると相当ポップな見た目じゃないと無理ですかね。

 

さらに面白いことに、この巨大な虫への変身は本書の最初の一文にいきなり書かれるのです。

ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。

 

一番最初の文にして、一番大事な文になっているわけです。これを読むと、夏目漱石の代表作『吾輩は猫である』が「吾輩は猫である」という書き出しで始まるのを彷彿させます。(『吾輩は猫である』の方が『変身』より早く出版されている。)

 

こうしたキャッチ―な文を始めに書いて読者を惹きつけ、レポートのような文体ですらすらと読み進めさせていく、というのが作者の狙いなのでしょう。

 

本書のあらすじ (ネタバレ有)

ここからは、未読の人と既読だけど内容を忘れちゃった人用に、本書のあらすじをネタバレ有で書いていきます。

 

「ちょ待って、俺買って読むつもりだからネタバレかんべn…」っていう人は、このページをブックマークしてこのamazonへのリンク(変身 (新潮文庫))をポチってブラウザバックして下さい。

 

 

 

あと、想像をより確かなものにするために、敢えてここにイモムシの画像を貼ります

作中には、巨大な虫とか足がたくさんあるとかしか表記がないので、イモムシというのは私の勝手な想像です。はい、押し付けます。(ほんとはキャッチ―なサムネ画像が欲しかっただけです。)

 

 

「虫なんて想像するだけで嫌なのに、見せるなんてふざけるなッ!」という人もいるでしょうが、同じく虫嫌いの私が数十枚のイモムシ画像の中からできるだけカワイイ奴を選んできたので勘弁してください。

 

 

ペタッ

 

 

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はい。カワイイです。

 

 

それでは、(あらすじ書いて)いきます。

 

 

 

この物語の主人公はグレーゴル・ザムザ君。

 

彼はいたって平凡な外交販売員の青年だった。

 

しかし、ある朝目覚めてみると、彼は一匹の巨大なに変わってしまっていた。

 

言葉も体の自由も利かなくなり、またその醜悪な外見から、グレーゴルは父親に部屋へと追い返され閉じ込められてしまう。

 

その後、家族は見て見ぬふりを続けるが、変身前よくしていた妹だけはグレーゴルに餌を与え続けた。

 

そんな奇妙な関係が半ば日常とかしていたある日、些細な出来事でグレーゴルは父親からリンゴをぶつけられてしまう。

 

日に日に弱っていくグレーゴルと同じくして、家族たちもまた心的疲労から弱り果てていく。

 

そうして、ついにグレーゴルは死を迎える。

 

グレーゴルが死を迎えることで、皮肉にも家族の気持ちは晴れやかになってゆくのであった。

 

 

 

はい。かーなーり、簡潔にまとめました。

 

主人公の名前はグレーゴル君、とりあえずそれだけでも把握してもらえれば良しとしましょう。(良くない。)

 

感想

考察を書いていく前に、読み終えての私の感想をまず書かせて下さい。

 

私がこの物語を通して痛烈に感じたワードは不条理です。

 

不条理

①道理に反すること。不合理なこと。背理。

②実在主義の用語で、人生に意義を見出す望みがないことをいい、絶望的な状況、限界状況を指す。特にフランスの作家カミュの不条理の哲学によって知られる。

引用:広辞苑

 

普通に考えれば、「虫になったグレーゴルに人間としての意識があることに家族が気づき、いびつな形ではあるものの本当の愛情は何なのかを悟っていく」的なハッピーエンドを期待するもんじゃないですかね。

 

それを期待して最後まで読み進めてみても、結局そんなハッピーエンドどこにも転がってないじゃないかと。グレーゴルは埃にまみれてゴミのように死んでいくのですから。

 

そんな読者が抱くであろう淡い希望がまったく回収されず、淡々と物語が進んでいく感じ、まさに不条理ですよ。

 

もし『変身』がアニメ化とかされたら、最終話が終わった頃にはもう“考察サイト”で溢れかえってるでしょう。「こんな終わり方ありえねえ」とか、「作者は何がしたいんだよ」とか、阿鼻叫喚のコメントで埋め尽くされるのが容易に想像できます。

 

現代人にはこの手の“不条理作品”への免疫がなさすぎますからね。こんな終わり方、急遽打ち切りされた週刊漫画ぐらいでしか見ません。

 

考察① 虫は何の比喩なのか?

それでは、考察に移っていきます。

 

やはり考察としては、この変身後の「」というのが比喩表現として何に置きかえるのかがポイントになってくるでしょう。

 

まずは、そこらへんの置き換えを弄り回して遊んでみましょう。

 

虫→植物人間 

グレーゴル君が虫でなく植物人間に変わっていた、と見るとどうなるでしょう。

 

まず、健康だったのに、突然部屋から出られなくなるというのには説明が付きますね。

 

でも、家族が彼に邪険な態度をとる説明が付きません。普通今までせっせと働いてくれてた息子が植物状態になったら、もっと優しく接するはずですからね。

 

虫→サイコパス殺人鬼 

家族から邪険な態度をとられるということを考慮して、サイコパスな殺人鬼というのはどうでしょう。

 

これなら、人間の思考がグレーゴルには理解できないと思う家族の説明にもなります。

 

でも、自分の家に殺人鬼がいると考えると怖すぎですね。お兄ちゃんにご飯を持って行ってあげる妹は天使かっていう話になってきます。

 

これも、ないですかねぇ…

 

考察② この作品は何を伝えたいのか?

今度は考察①よりも、もっと核心に突っ込んで考えてみます。

 

主人公グレーゴル・ザムザはなぜ一匹の巨大な虫になってしまったのか?

それは何を表しているのか?

 

その虫になった原因は、グレーゴルの本心をそのまま現実へと具現化させた結果だと私は思います。

「家族のために会社へ働きに行っているが、本当は行きたくない。」

「自分の部屋でずっと趣味に没頭していたい。」

そうしたグレーゴルの隠れた願望を実現させた結果が、部屋にひとり取り残される家族にとって邪魔でしかない虫だったというわけです。

 

つまり、この作品が伝えたいことは、「人間が本心を前面に突き出し生きていっても、そこに幸せが生まれることはなく不条理しか存在しない。」ということです。

 

これは、なかなかに悲しいですね。

 

まとめ

他人の考察を脳死で見るんじゃなくて、自分でいろいろと考察してみるのも面白いと今回思いました。

 

これからも機会があれば、また他の作品の考察記事を書いてみたいと思います。

 

はい。