未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

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なぜ男は「性犯罪」に対して敏感に反応してしまうのか?

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※この記事には性的で不快な表現が含まれています。

※また、特定の人物の気分を害する意図で書かれた記事ではないため、気分が悪くなった場合は読むのを控えてください。

 

 

「男の性欲」は残虐な欲求である

まず、始めに。

の性欲はかなり強いです。

 

基本的に男は四六時中ヤりたいと思っているし、このヤりたさに勝る感情はなかなかありません。

仮に時を止める力があるとしたら、ほとんどの人が手当たり次第に無理矢理ヤり始めてしまうだろうし、少なくとも見抜きぐらいはするでしょう。

 

そこには相手を思いやる愛はなく、ただ単純に気持ちよくなりたいという欲求に従っただけです。

当事者である男にとって、もはや良いとか悪いとかいう感情はありません。

なぜなら、性欲は生きる上で必ず生じてしまう欲求であり、この欲求は抑えることはできても消すことはできないからです。

 

しかし、おそらく「男の性欲が強い」という事実は、合理的にはであり世論的にはなのでしょう。

 

まず、善というのも、

人間の進化とは比べものにならないほど急激に発展したこの現代では分かりませんが、少なくとも太古の動物色の強いころの人間にとっては必要不可欠な欲求だったはずです。

でなければ、性欲の強い男は淘汰されているはずですから。

 

次に、悪というのも当然のことでしょう。

なぜなら、「男の性欲の強さ」は女性の意思を尊重するものではありません

現に、無制限に「男の性欲」を解放してしまうと、どんな行為であれ即犯罪になってしまいます。しかも、特定の人物の肉体と精神に多大なダメージを与えるという、犯罪の中でも特にタチの悪い部類のものです。

 

例えば、無実の人間を拷問するのが趣味という人間を想像してみてください。これは誰が見ても異常だと感じるし、そんなおかしい趣味を持った人間はいないはずだと思うでしょう。

実際、そんな残虐なことをしたい欲求を持った人間はいないだろうし、いたとしても極少数です。

 

さて、この人を苦しめることで快感を得るという「残虐な欲求」をどこかで見たことがあるような気がしませんか?

そう、この「残虐な欲求」は正に「男の性欲」と同じ性質を持っているのです

 

種を存続させていくという生物として人間としての大義であるはずの「男の性欲」は、今の男女平等な世の中の下ではただの「残虐な欲求」に成れ果ててしまっています。

 

社会において「性欲=悪」である

性犯罪を犯すのはだけ

というのは周知の事実です。

 

男の自制機能が女よりも劣っているということがない限り、男の無差別的な性欲は女よりも圧倒的に強いということが客観的な事実から分かります。

と同時に、人間の自制能力の分布を考えると、一定数の自制の効かない人間が性犯罪というハードルを飛び越えてしまっていることも分かります。

 

つまり、男は性機能が正常に維持されているうちは、常に「性欲」という名の女性の社会進出を妨げる巨悪を「理性」によって抑え続けなければいけないのです。

 

これからの社会でまっとうな人間関係を築きたいなら、自身の持つ性欲のその片鱗すら見せることは許されません。

一歩間違えばたちまち非難を浴びせられ、その悪印象を払拭することは困難です。

 

男は他の男の犯した「(性犯罪の)衝動」に共感してしまう

人には共感能力というものがあり、似通った性質を持っている人物に対しては自然と共感してしまいます。

 

そして、男はみな一律に性欲が強いので、他の男が犯した「(性犯罪の)衝動」にも共感してしまうはずです

もちろん、理性を保てていない犯罪そのものに共感する人はいませんが、あくまでその元となる衝動(ヤりたい)のみに対しての話です。

 

ここで、HSPのような共感能力が高い人間は、みなから責められるべき性犯罪を犯した人間のその衝動には完璧に共感できてしまい、集まった負の感情を自分に対してのものだと錯覚してしまいます。

この共感性は、性欲が誰にでも備わっているからこそ起きてしまうものです。

 

こうした性への負の感情を受け止めることにより、他人に対して自分は「悪である性欲」を隠しているという後ろめたさを常に感じてしまうことになります。

本当は理性の無さだけが非難されているだけにも関わらず、その性欲そのものを悪として捉え自己嫌悪してしまうのが、男が「性犯罪」に対して敏感に反応してしまう原因なのです。

 


というわけで、男と女の恒久の平和を願い、記事を締めさせていただきます。