未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

HSP(過敏感)の筆者が、人・作品・自己啓発についての考察記事を書いていきます。

「日本批判」「国家批判」に抱く違和感

 

Twitterやブログなどをやっていると、「今の国家を否定する」人たちを定期的に目にする。

 

そもそもの日本の国民性を否定したり、もうどうしようもないとか嘆いている人がいたりもする。

 

「もうこの国はダメだ。」

「なぜ君たちは気づかない。」

「日本人には、頭が悪い人しかいない。」

「彼らはみんな国家の奴隷だ。」

「一生服従し続ければいいんだ。」

 

大体、このような主張を続けている。

 

そして、日本の悪い例、国家の悪い例を具体的にいくつも上げている。 

 

彼らは、日本という枠組み全てを否定し、日本国民一億二千万人全てを否定する。

 

 

 

という流れに、僕は違和感を覚えた

 

「んー、何かよく分かんないけど、それ違くね」

 

そう思った。

 

 

 

「日本は悪」という固定観念

反日本の人たちが好き勝手に日本を批判すること自体は別にどうでもいい。

 

「同調圧力が嫌い」「教育制度が嫌い」「社会体系が嫌い」

こういった意見を持つことは自由だし、否定したりするつもりはない。

 

だが、彼らは「日本は悪である」という固定観念に憑りつかれているように感じる。

 

「日本が悪」という前提で議論を開始し、「日本が悪」という結論でしか話を終わらせようとはしない。

どこかに日本の悪い要素はないかと取り上げようと必死になっているような印象を受ける。

 

僕はそこに違和感を覚える。

 

そもそも、なぜ「日本」という大きな括りで考えているのだろうか?

 

「日本の政治のAの部分は悪い」「日本の政治のBの部分は良い」

「日本の教育のCの部分良い」「日本の教育のDの部分は悪い」

この表現が正しいと思う。

これを一まとめに"悪"だとしてしまうのは、正直よく分からない。

 

日本国民を二項対立として考え、

  • 「日本は素晴らしい」という意見と
  • 「日本は気持ち悪い」という意見の

2つしか存在しないとでも考えているのだろうか。

 

ほとんどの日本人は、「日本には良い所もあって悪い所もある。良い所を活かして、悪い所は直していきたい」と思っているはずだ。

 

したがって、日本を褒めるニュースを見たからといって、日本人は盲信的に愛国心が強いのだと勘違いする必要はない。

 

もう少し日本のことに対して、フラットに局所的に議論する姿勢を持った方が良いと思う。

固定観念に縛られていては、何も建設的な議論はできないと思う。

 

「日本が悪い」。だから何なのか?

僕が何か物事にたいして否定的な意見を発するのは、現状から変わりたいという"目的"がある時だ。

 

「上司から不当に怒られれば、それを止めさせるために論破する」

「ブログの内容を間違って解釈されれば、軌道修正のために補足する」

 

当記事で言えば、目的は

「日本や国家を批判する人たちへ疑問を投げかけ、彼らの本心をより深く理解する」

ことだ。

 

このように否定的な意見というのは、何かしらの"目的"が伴わないと意味がないと思っている。

 

でだ。日本批判する人たちの"目的"とは何なのだろうか?

 

「日本の政治体形、教育体系、社会体系、全てをぶっ壊して、最強の社会を形成する」

こんな感じだろうか。

 

それとも、

「日本人の国民性を根本から改革するために、海外の優れた思想・文化を刷り込みまくる」

こんな感じだろうか。

 

国家批判する人たちに至っては、

「原始の時代のストレスフリーを理解させ、現代文明を全て捨て動物のように暮らしてもらう」

こんな感じになるのだろうか。

 

何かよく分からない。

何がしたいのか見えてこない。

 

日本」という既に成熟している大きな存在を変えることは、どうやったってできないだろう。

 

何と言うか、申し訳ないが、僕には全く現実味が湧かない。

既存の「日本」を崩壊させた後に「素晴らしい未来」が待っている景色が想像できない。

 

例えば政治に関しては、「今の与党を退けて、別の政党を押し上げたい」というのなら理解できる。

そうした「"現"日本政府批判」ならもちろん理解できるし、それは当たり前の行動だ。

 

でも、国家そのものを否定したり、日本人の国民性を否定したりするのは、正直言って理解できない。

 

だって、それを言ったって、何も意味はないから。

愚痴としてこぼす分にはいいが、それを強く主張されたところで何も生み出されるものはないから。

 

それらには"現実的な目的"が伴っていないようにしか思えない。

 

まあ、「ただの愚痴で発散してるだけです」って人は別にいいんだが。

それを本気で言っているのだとしたら、それはおそらく一生叶うことはないとだけは言っておく。

 

「〇〇が悪い」と捉えない方がいい

最後に、少し抽象的な話をして終わろうと思う。

 

僕の普段の考え方に関しての話だ。

 

僕は普段、「〇〇が悪い」という捉え方をせず、物事を客観的に合理的に考えている

手の届かないような理想の話などせず、現実的な今実現可能なことしか考えないようにしているのだ。

 

「〇〇が悪いせいで自分は今不当な仕打ちにあっている。〇〇は悪だ!」と感情的に盲目的になるのではなく、あくまで生きづらさの原因の一つとしてだけ捉えるようにしている。

「〇〇が悪である」ことが生きづらさの原因の一つであれば、それを排除しようと努力する。それが、自分を変える形でか他者に願う形でかは分からないが、それが絶対悪だと固執することはあまりない。

 

そして、この思考法よって、今現状で得られる最適な道を辿っていると確信している。

 

だが、 この現実主義的な考え方に対して、それは"逃げ"でしかないと言ってくる人がいるかもしれない。

この悲惨な現状を理解していないだけで、あなたは"無知"なんだと言ってくる人がいるかもしれない。

 

でも、それって、どうしようもない事じゃないか?

 

僕の理解できない理想には従うことはできないよ。

たとえ、自分が後に後悔することになる選択肢であっても、今の自分を説得できなければ、その理想を選び取ることはできないんだよ。

こうした現実主義者たちの思考を捻じ曲げられなければ、その理想を果たすことはできないんだよ。

実現可能な見通しの自信がなければ、その理想はただの周りから嫌われる愚痴にしかならないんだよ。

 

最後に

反論、批判、同意、もろもろ大歓迎だ。

 

僕は自分が正しいなどと盲信していないので、すぐに主張が覆ることもあるかもしれない。

 

まあ、それはその時だ。

暴言さえなければ、いくらでも議論できる。(心だけは弱いから…)

できれば、僕のこの主張を誰かが完全論破してくれることを願う。

 

というところで、それでは、また。