未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

HSP(過敏感)の筆者が、人・作品・自己啓発についての考察記事を書いていきます。

「現実逃避(思考停止)」が優れた行為であることを5つの理由から証明する

 

どうも、ハイネス(@hai_nesu)と言います。

 

皆さんは、日常でストレスを感じたりすることがありますか?

 

これに、多くの人はイエスと答えると思います。

それほどまでに現代人の抱える悩みというのは大きいのでしょう。

 

毎日の心配が多すぎて、将来が不安で仕方がないという人も中にはいます。

そういった人たちは、悩みを解消する方法を日々探しているはずです。

 

そこで、今回は、不安を打ち消すためには「現実逃避(思考停止)」が優れた方法であることを、つの理由から証明していこうと思います。

 

それでは、どうぞ。

 

 

 

1.人は無意識の内に生きている

これに関しては意識してみないと気付きづらいことですが、人は自分で思っている以上に無意識の内に生きています。

 

特に、善悪の感覚や人としての道徳などの曖昧な概念は、無意識の内に感じる"嫌悪感"などを頼りに境界線を判断しています。

例えば、何かしらの重大な犯罪が起きたとして、世論が求める罰則と法律が決めた罰則の間に乖離があるなんてこともしばしば発生します。

 

つまり、この人の生きる世界に人として生きていく上では、無意識の内に心に抱く"感覚"がとても重要になってくるわけです。

 

普通の精神状態の人にとっては当たり前のことなので大丈夫なのですが、気分が落ち込んでいたり、考え過ぎる性格をしていたりすると、この絶妙なバランス感覚が段々と分からなくなってきてしまいます。

 

思考が暴走して普通の人の考え方が分からなくなってしまった時には、一度立ち止まって、いっそ考えるのを止めてしまった方が良いです。

何も考えず自然体でいた方が、身に沁みついた親切心や利他的な精神が正しく活用されやすくなるはずです。

 

2."考える"ことは毒になりうる

そもそも"考える"という行為とは何なのか、と疑問に思ったことはありますか?

 

「そんなの答えるまでもない」と思う方もいるかもしれませんが、これが意外とそうでもないのです。

 

考える

③思考をめぐらす。あれこれと思量し、事を明らかにする。思案する。

引用:広辞苑

 

大事なポイントは上記の引用の赤い文字の部分です。

 

そう、人は考えてしまった時点で、その対象の"正当性"をはっきりと断定することを迫られてしまうわけです。

 

例えば、鏡を見て「自分はカッコ良いのか否か」について考えたとしたら、自分がカッコ良いのかカッコ良くないのか、その場で決めないといけなくなってしまいます。

そこで、仮に自分が落ち込むような結論に至ってしまったら、多大なストレスになりますし、自己肯定感を損ねる結果にもなりかねません。

 

つまり、考えることが多いということは、それだけ物事の正当性をキッパリと突きつけられる機会も多くなるということです。

 

人なら誰しも抱えているであろうコンプレックスにより、人は考えれば考えるだけ、その分だけ自分の欠点と向き合わされてしまいます。

 

3.自分は「凄い」か「ダメ」の二択しかない

前項で、人は考えるだけでその対象の是非の判断を迫られる、という話をしました。

 

そして、その導き出した結果を基に、人はさらなる判断を迫られます。

 

「自分は優れた存在なのか、それとも、自分は劣った存在であるのか?」

 

これに関しては「凄い」か「ダメ」の二択しか存在しません。

"考える"という主観的な矛盾を排除した行為をしようとすると、必ずこの両極端な選択肢のどちらかを選ばなければなりません。

 

 

上記の記事でも触れているのですが、人には物事を自分の都合の良いように解釈する能力が備わっています。

この能力により、人はどんなに自分が劣っていても、あたかも他人よりも優れているように錯覚することができます。

 

つまり、自分が優れているとか劣っているとかいう単純な事実は、超越した人間にとっては何の意味も持ちません。

 

  • 自分が安心(↔慢心)したいのであれば、自己を優れていると認識する。
  • 自分が成長(↔落胆)したいのであれば、自己を劣っていると認識する。

 

自己について考える上では、この2つの仕組みさえ覚えておけば大丈夫です。

 

また、どちらの認識法にもメリットとデメリットの両方があるということを忘れないようにしましょう。

 

4.考えない人間とは無敵の存在である

前項で、考えた結果として「凄い」と「ダメ」の二択しか存在しないと説明しましたが、実はもう一つだけ選択肢が存在します。

 

それは、「考えない」という第3の選択肢です

 

これほどまでに完成されていて美しい行為は他にはないでしょう!

 

どんなに考え尽くした高等な理論であっても、この「考えない」という圧倒的な存在の前では何の力も有しません。

どれだけ相手のことを理詰めで批判しようとも、「うるせえ!知らんッ!」と一発殴られてしまえばもう終わりです。

 

つまり、「考えない人間」の取る行動は、本人にとっては全て正しい行動になるのです。

 

なぜなら、人間の定義する正当性などという概念は、そこには一切存在しませんから。

地球がただ宇宙に在るのと同じように、行動がただ現実に起こるだけです。

 

存在するだけで肯定され、その存在が否定されることは大よそありえません。

人間としての基盤である"考える"ことを辞めた人間は、幸せという概念を理解することはできないですが、少なくとも不幸せではないはずです。

 

ストレス過多の現代で生き抜く上では、「考えない」、つまり不幸せを避けるような選択肢が好まれる傾向にあるのではないでしょうか。

 

5.適材適所のバランス感覚

ここまでの話を総括して、一つの結論としてまとめてみたいと思います。

 

  • [1]努力で変えられない悩み→自分を全力で肯定する。(考える)
  • [2]努力で変えられる悩み→自分を少し責めてみる。(考える)
  • [2α]ストレスが大きい場合→考えるのを止める。(考えない)

 

この[1]と[2]を意識することができれば、割と人生を上手く送ることができます。

 

ただ、「考えるのを止める」というのは意識してできることでもないんで、[2]の努力で変えられそうな悩みであっても、どうしても辛ければ[1]の自己保身に切り替えていいかなとも思います。

 

自分を責め続けて苦しみながら生きるよりも、多少甘くても幸せに生きられる方が良いと個人的には思います。

 

 

 

というところで、今回は以上です。

途中で若干脱線した気もしますが、まあいいでしょう。

 

それでは、また。