未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

HSP(過敏感)の筆者が、人・作品・自己啓発についての考察記事を書いていきます。

この世には「右」か「左」その二択しか存在していない【主に政治の話】

 

どうも、ハイネス(@hai_nesu)です。

 

最近、この世界は驚くほどに簡単な作りになっていることに気づき始めました。

 

つまるところ、この世界には大きく分けて二択しか存在していないのです。

 

幸せか、不幸せか。

好きか、嫌いか。

優れているか、劣っているか。

 

そして、右か、左か。

 

人はこの二択の内のどちらかに必ず属し、自らを肯定し他者を否定するようにできています。

 

難しく考える必要はありません。

ただ、自分が二択の内のどちらに位置しているのか考えるだけでいいんです。

 

そうすれば、自分が進むべき道がおのずと見えてきます。

 

 

 

人は快楽を得るために生きている

そもそも人が何のために生きているのか、今一度考えてみましょう。

 

人とは、快楽を得るために生きているのです。

 

 

自らを絶対的に肯定し、対極にいる他者を否定することで、人はさらなる満足を得ようとします。

そこには客観的なモノサシなどは存在せず、全てが主観的で自分本位な考えにより成立しています。

 

「人は生きているだけで素晴らしい」という耳障りの良い言葉が存在している以上、人そのものの欲求を否定することは誰にもできません。

 

異なる人間が、異なる環境で生活している上で、誰もがその存在を認められているのです。

 

こんな混沌とした世界の中で、全ての人間が争いなく和解することなどあるはずもないでしょう。

 

自己肯定とは、つまり攻撃だ

人が自らを肯定するのか否定するのか、これも二択です。

 

そして、自らの幸せのために自己肯定を選び取ったのであれば、それは自分以外の他者への攻撃になります

 

自分が多数派に属しているのであれば、その自己肯定は少数派への攻撃となり。

自分が少数派に属しているのであれば、その自己肯定は多数派への攻撃になります。

 

人間の世界のルール作りにおいて、"正しさ"なんてものは問題にはならないです。

どの派閥に所属しているかという、"環境"の差しかそこにはありません。

 

日本人として自分が生きづらいのであれば、日本人を否定する。

日本人として別に生きづらさがないのなら、日本人を肯定する。

 

左であれば、現状に不満がある。

右であれば、現状に不満がない。

 

当然のことです。

わざわざ面倒臭い投票所まで行って、自分の損になるようなことをする人はいないでしょう。

 

人間は驚くほどに自分の欲望に正直で、それに従えない人間は心を病み淘汰されていくだけですから。

 

人は他者のことを理解できない

右か左かという両極端な考え方をするのではなく、お互いに歩み寄ればいいと考える人もいるでしょう。

 

しかし、人はそこまで他人に感情移入することはできません

 

ただのサラリーマンしか経験したことのない人間が、プロのサッカー選手の気持ちなど分かるはずもないでしょう。

異なる環境に属する人間の気持ちなど分からないし、忙しい現代人にそんなことを考えている時間はありません。

 

見えているのは「他者への強烈な不満」と「現状維持の小さな幸せ」だけです。

 

見えないものを優先して、見えている自分の気持ちを蔑ろにするというのも可笑しな話でしょう。

 

自己犠牲とはつまり、自分の寿命を縮める行為です。

生物として生きる上で、それが本能に反していることぐらいすぐに分かります。

 

誰も絶対的な正解などは探していません。

ただ自分にとっての主観的な正解を探しているだけです。

 

自分という存在を主人公に押し上げるために、せっせとシナリオを作り上げているのです。

 

 

 

 

というところで、今回は以上。

後のところは専門家に任せておきましょう。

 

それでは、また。