未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

考える。ただ、考える。

この世界には素晴らしい聖人のような人がいる!【捜索ボランティア】

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いやぁ、みなさん。

 

この世界にはこんなにも素晴らしいステキな方がおられるんですね。

 

山で行方不明になっていた2歳男児を見事見つけ出し救い出した、捜索ボランティアの尾畠さんです。

 

 

彼は、男児が山中で行方不明になっているニュースを見てすぐに行動を決めたようです。

 

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そこには邪な気持ちは一切なく、純粋に多くの人を救いたいという思いしかありません。

 

彼にとっては、ボランティアで人助けをするのはもはや当たり前のことです。

 

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なんて素晴らしい人なんでしょう。

 

こういう人がこの世界に大勢いたら、世界はもっと平和に幸せになるはずです。

 

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聖人君子ばんざーーい

 

ボランティアさいこーーう

 

涙出ること間違いなし

 

 

 

ってなわけで、くっさいノリはこの辺にして本題に入ります。

 

 

 

聖人の生き方を気持ち悪く感じる

別に、妬みや嫉みで良い人にヘイトを向けようとしているわけではありません。

 

ただ純粋に私は聖人の生き方を気持ち悪く感じるんです。

 

「人を助けるのなんて当たり前じゃないか」キラッ

「こんな不誠実な人許せない!!」メラメラ

 

とか言っちゃう奴らには反吐が出ます。

 

もっと冷たくあれ、と。

 

 

そうですね、私が聖人を気持ち悪く思う理由を2つ挙げましょう。

 

まず1つ目。

 

この記事(なぜ愚かな人は"善"と"偽善"を分けようとしてしまうのか?)でも書きましたが、

聖人が自分を善だと信じて疑わないその姿勢です。

 

自分がしていることは人の役に立っているはずだと盲信して、少しも自分の行動に疑問を持とうとはしない点にあります。

 

例えるならば、みたいなものです。

虫が嫌いな人は、その見た目もさることながら、何を考えてるかよく分からないあの突飛な行動に嫌悪感を示すはずです。

 

私の中での聖人の立ち位置は、"見た目だけはカワイイ虫"と同等だと思っていただけると分かりやすいかもしれません。

 

次に2つ目。

 

聖人の行動原理が他人に奉仕することに人生の喜びを見出している点です。

 

他人を助けることに人生の主眼を置くのは、自分が幸せであり他人に分け与えることができると自覚していないとできない行為です。

つまり、聖人とは精神的な意味で強者なのです。

 

普段から自分が気持ち良くなるために人助けをしている私たちとは違い、幸せの分配を目的として動く聖人の気持ちを分かるはずもありません。

 

こんな利他的な生き方を弱者はできないです。

 

「聖人=素晴らしい」を見せつけるな

「いやぁ、素晴らしい。こんな聖人のような生き方をする人がいるなんて。僕もまだまだ負けてられないな。頑張るぞッ」

なんて考える人がほとんどだと思わないでください。

 

そうだなあ、"見せつけるな"というのは違うのかもしれない。

多くの人がこのニュースを見たがっているわけだし、かくいう私だってテレビでやってたらついつい見ちゃうしね。

 

正しくは、聖人の汚い部分をもっと見せろです。

 

そうすれば嫌悪感も少しは薄れるはずです。

 

メディアがこんな綺麗なモノを、皆が目指すべき存在かのように報道するのはどうなのだろうか。

今回は擦れたおじさんだからまだ良かったものの、これが見た目も良い青年とかだったら目も当てられない。 

 

そんな綺麗なモノは物語の中だけで十分です。

 

 

 

最後に一つ。

私は聖人を見ると気持ち悪くなるだけで、"嫌い"ではありません。

 

だって、人を助けることに喜びを見出しているのでしょう?

じゃあ、やらせとけばいいじゃないですか。そこは否定しません。

 

ただ私はどう足掻いても聖人のような生き方をすることはできないし、その感情を理解することもできないので、"気持ち悪く"感じただけです。

 

以上。

記事を締めさせていただきます。

 

それでは。

 

(できれば尾畠さんの勇姿に感動してグーグル検索からこの記事にたどり着いた聖人予備軍の方にこれを読んでもらいたい)