未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

HSP(過敏感)の筆者が、人・作品・自己啓発についての考察記事を書いていきます。

この世界の唯一の救い【自己に内在する他者性】

 

どうも、ハイネス(@hai_nesu)です。

 

改めて考えてみたんですが、人は思っている以上に自分自身を認識できていない気がします。

 

だって、普段生活している時に、自分が今どんな見た目をしていて、他人からどんな風に思われているかなんて、およそ考えたりしませんからね。

大体、無意識の内に毎日を過ごしています。

 

他人から見た自分と、自分から見た自分の乖離。

そして、自分という存在へ抱く違和感。

 

これらの認識のズレにより、我々は自己をそれ以上の存在として享受することができているのではないでしょうか。

 

 

 

自分という存在への違和感

自分という存在への違和感を抱いたことのある人は多いのではないでしょうか。

 

個人的には、昔は自分の姿を写真で見るのも嫌だったし、自分の声を動画で聞くのも嫌でした。

自分の描く自分像が、現実とかけ離れていたことを知るのがとても怖かったです。

 

成長期で身長がそこそこ伸びたんですが、写真で自分の姿を見ると、身体の大きさへの違和感が未だに拭えません。

容姿に関しては、自分からは普段は全く見えませんからね。

 

「今考えている自分」とは別に、もう一人「物体としての自分」がいるような感覚です。

この二人の間の繋がりは驚くほどに薄いように感じます。

 

自己肯定は一人二役

自己肯定というテーマはよく扱うのですが、これに関しても自分という存在の乖離が起こっている気がします。

 

というのも、自己肯定するには、「褒める自分(能動)」と「褒められる自分(受動)」の二人が存在していないと成り立たないからです。

褒めることを動詞とするならば、褒められれることは目的語になります。

 

自分という一人の人間を褒めるということは、自分以外の赤の他人を一人褒めることと同じです。

感覚としては他者を褒めているにも関わらず、同時に、自分という存在が褒められていることを感じる、という不可解な現象に見舞われます。

 

そして、自分で自分を褒めているだけなのに、あたかも他人から認められているような感覚を得るようになります。

 

これは、自己と他者との判別が曖昧になっていることが一つの原因です。

共同体に属すことで培われるはずの人間の感覚を、ただの自分一人で完結させることができてしまいます。

 

この世界観において、自分を最も理解し、自分を最も愛してくれるのは、"自分"です。

 

"自分を愛す"という選択

「考える自分」と「概念としての自分」が切り離されるのであるとすれば、"自分を愛す"ということは人生において大きな課題になると思います。

 

つまり、あなたは"自分"として存在するだけで、人間として完成されているということです。

 

そこにあるのは、自分を愛する か 自分を愛さないか の二択だけです。

どちらを選ぶべきかは明白だと思います。

 

何も成し遂げる必要はありません。

承認とは結果による報酬ではなく、ただ選択するかどうかの意志のみに依ります。

 

目の前の幸せになれる解釈を選び取るだけです。

行動よりも先に、頭で思ったその時点で、人生における最重要な課題がクリアされます。

 

自己肯定という義務

とは言っても、ダメな時の自分を肯定するのは難しいです。

自己否定に陥ってしまうことも多々あります。

 

そんな時は、自己を肯定しなければいけない"義務"を課されていると考えます。

 

例えば、他人のことを褒めなければいけない仕事に就いていたとしたら、その他人がどんなにダメであっても最終的には褒めることができるでしょう。

自分のことを客観的に認識することで、自分の現状の良し悪しの評価を度外視できるようになります。

 

つまり、純然たる存在としての"自分"という名の他者を肯定することを、我々は強いられています。

 

精神を病まずに健常に生活できるように、人間の構造としてそう設計されているんです。

その人間としての義務を理解し、流れに逆らわずにただ全うすることができれば、自然の道理として幸せになれないはずはありません。

 

「自己を肯定してもよい」というよりも、「自己を肯定しなければいけない」という表現の方が正しいです。

この一文において、我々は誰からも自己肯定を否定されることはないです。

 

全ての人間から認められた、自己による自己の承認。

 

これほどまでに美しく完成された理論が他にあるでしょうか。

 

いや、ありません。

 

 

 

 

というところで、今回は以上です。

 

それでは、また。