なぜ人は生きるのか?
これほどまでに面白い問が、かつてあったでしょうか。
恐らく私は一週間に3時間くらいは、この哲学的命題について考えています。
生きる意味などないことに気づく
誰だろうと一度は考えたことがあるはずです。
なぜ自分は生きているのだろうかと。
特に、辛いことや悲しいことがあった後は、自分の存在意義について考えてしまいます。
はたして、この人生には苦労して進んでいくほどの価値があり意味があるのかと。
考えて考えて考え抜いて、忘れた頃にまた考えて、いつかはその答えが得られるだろうと考えてきました。
でも、
結局、
生きる意味なんてものは見つけられませんでした。
私は20年生きてきて、熱意を持ち堂々と自信を持って言えるような、そんな価値のあるものを人生に見出すことはできていません。
ただ、存在することは証明できても存在しないことは証明できませんから、絶対にないとはまだ言い切れないでしょう。
これから何年生きることができるのかは分かりませんが、生きている間に人生の本質に気づくことができればいいなと思います。
生きる意味を見つける能力がないことに気づく
盲目的に思い込んでいるか客観的に捉えているかは別にして、生きる意味というのは人によって異なり千差万別です。
神様の存在が証明されていない以上、普遍的な意味は存在しないし、それぞれが生きやすくなるように自分で決めるべきです。
つまり、生きる意味、特にポジティブな方の生きる意味を見つけることができるかどうかは、人によってまちまちだということです。
どうしてもネガティブに考えてしまう人や、そもそも見つけることができないような人など、生きることに対して楽天的な意味づけを行えない人は一定数います。
そして、私に生きる意味を見つける能力はありませんでした。
音楽やスポーツといった趣味を第一にしたり、他人や家族のために尽くしたり、はたまた自分の能力を限界まで試したいなど、人生に何かしらの柱を立てられる人を羨ましく思うばかりです。
概念とか定義とかの話ではなく直感的な理解として、私は何か一つのことに対して夢中になりかつそれが価値のあるものだと思うということができないのです。
「趣味は何?」と聞かれても、はっきりと答えられません。
おそらく他人の視点から見れば趣味と言えるようなものが私にはあるのでしょうが、主観的に考えると熱中してるとは到底思えないです。
しいて挙げるとすると、私の趣味は"人生"です。
人生は興味深(おもしろ)いですよ。これほどまでに夢中になったものはないかもしれません。
寝ても覚めても人生ですからね。逃れられないこの人生、その意味を考え尽くしても決して答えは出てこないというのもまた乙です。
ある意味、私の趣味は生きる意味を見つける行為そのものであり、私の生きる意味は生きる意味を見つけることなのかもしれません。
まあ考えることは好きですし、それならそれで本望です。
【年齢:20 趣味:人生】これからの将来が楽しみでならない
特定の趣味(生きる意味)を設定してしまうということは、逆にこれからの自分の人生を狭めてしまうことに繋がります。
楽しいこと以外の時間は、相対的に苦しい時間になってしまいますからね。
それに比べて、「趣味:人生」って最強じゃないですか?
自分で自分のことについて何も決めてないように見せかけて、実はその曖昧さのおかげで自分の人生全てをalwaysで楽しめるという隙の無さ。
しかも、「趣味:人生」という字面・響きどちらをとってもインパクト絶大のパワーワードたるや、もう言葉を失いますわ。
どうぞ皆さん、趣味を聞かれた際は「趣味:人生」と答えてみてはいかがでしょうか。