未熟者の哲学語り

未熟者の哲学語り

暇を持て余した理系大学生が、自己受容するための持論を展開していく。最終的な目標は、自分のことを愛せるようになること。

暇を持て余した大学生が哲学(物事を深く考える)してしまう理由

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 以前こんな記事を書きました。

 

www.mijukutetsugaku.com

  

これは「哲学について全くの素人が、哲学を学んでみたいと思った」っていう内容の記事です。

 

この時は、なぜか分からないが哲学に興味がある、という状況でした。

 

でも最近になってやっと、なぜ私が物事を深く考えがちなのか少し分かってきました。

 

それを今回は記していきたいと思います。

 

 

 

私が哲学をする理由

私が哲学をする理由は、ずばり、物事がはっきりしないことで生じる不安を消したいからです。

 

私の場合、得体のしれないものに遭遇したら、まずそれは何なのかということを一番に知りたくなります。それが有害だとか無害だとかいうことは、分からないということから来る恐怖に比べれば些細な事です。

 

 

例を挙げるとすると、テレビ番組でよく見る『手で触るだけで、箱に入っているものを当てるゲーム』が該当するかもしれません。アイドルとか女優がひいひい言いながらも、けなげに手を穴に突っ込んでるのを見たことがある人も多いでしょう。

 

このゲームにおいて、挑戦者が感じている恐怖こそが“分からない”ことなんです。仮に箱の中に入っている物が「コンニャク」という有害にも無害にもならない物だったとしても、挑戦者からすれば「ヌルヌルでぶよぶよしてて気持ち悪い」という感覚から導かれた最悪のものを想定してしまう危険(不安要素)があります。

 

こうした分からないを消していき、目の前の不安を取り除いていく作業こそが、私にとっての哲学です。

 

【具体例】私が哲学する理由

次に、私が哲学をする対象の具体例を挙げてみたいと思います。

 

最近で一番考えることが多いなと感じるのは「他人が付ける自分に対する評価」です。相手が自分に対して何かしらの批評をしてきたときに、それが深い所でどんな意味合いを持っているのか考えてしまうのです。

 

そこで参考までに、褒められた時と貶された時の私の思考をちょっと紹介してみたいと思います。

 

褒められた時 

手放しで喜びます

自分の思考が単純なので、相手が言ったことも疑いなくすぐに受け入れてしまうんですよね。三日間くらいは、その誉め言葉だけを肴にして酒が飲めると思います。

 

その後も、褒められたことに満足して特に深読みはしません

 

貶(けな)された時 

めっちゃへこみます

今貶されるということは、その人と過ごした全ての時間で悪い印象を持たれていたということですから。今までの時間が全て穢れていってしまうのを肌で感じます。

 

そして、その後すぐに、相手から言われた自分の短所について洗いざらい考え始めます。

なぜ相手はそんなことをいったのか。他の人も同じことを思っているのか。どうすれば改善できるのか。など、自意識過剰と思われても仕方ないくらいに考えつくします。

 

そうして最終的に、自分の欠点や短所を全て脳内にリストアップします。

この短所リストアップにどのような意味があるかというと、簡単に言えば悪口への免疫力作りです。相手から何を言われようと、自分に自覚があることならばショックは受けませんから。たいがい他人の発言に傷つくのは、その発言と自己評価とにギャップがあるときです。

 

例えば、背の低い人に「チビ」と言ったり、太ってる人に「デブ」と言うのはかなり低俗な悪口だと感じるでしょう。これは、外見を見れば誰だって一目瞭然なことをわざわざ口で言うから滑稽に思えるのです。

 

このように相手からの印象を予めきちんと把握しておき、辛辣な言葉を発せられても「あー、そうだよね。まあでも、それも俺の個性だからね。」なんて返せるようになるのかもしれません。それが私の理想です。

 

シメ

人間暇すぎると余計なこと(哲学的なこと)を考えてしまうとよく聞きます。

 

でもそれは本当に余計なことなんでしょうか。

 

なんだかんだと考えをめぐらすことが、人間の成長にとっては一番良いのではないかと最近は思います。

 

まあ、どうせ年をとればみんな暇になっていくのだから今のうちに考え慣れといてもいいんじゃないでしょうか。