未熟者の哲学語り

未熟者の哲学語り

暇を持て余した理系大学生が、自己受容するための持論を展開していく。最終的な目標は、自分のことを愛せるようになること。

「哲学」って何だ?素人大学生が哲学を学んでみた経緯をたどって説明する

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どうも、ハイネスです。
 
私は現在、理系学部に所属してる大学生なんですが、学ぶ必要のないはずの哲学に興味を抱いてしまいました。
 
なんで違う分野が気になるかというと、特に理由はありません。しいて挙げるなら「隣の芝生は青く見える」ってやつです。
 
私は意気揚々と大学まで進んだんですが、次第に「なんかしっくりこないな」っていう気持ちが強くなっていきました。そうして頭の中でごちゃごちゃ考えてる時に、学んでみたいと思ったのが哲学でした。
 
そのときの哲学に対する印象は、「難しいことについて考える」ぐらいしかなかったです。
 
そういう経緯で哲学と出会ったので、私がまず哲学という分野に求めたのは、「面白く、かつ自分のためになる」ということだけです。
 
つまり、つまらない現状から脱するための救いを哲学に求めたということです。
 
哲学について学べば何か自分が変わるんじゃないか?っていう淡い希望を求めていたわけです。
 
そして、そうこう考えてるうちに、頭の中で哲学を知りたいという意欲がぱんぱんに膨れ上がりました。
 
さあ、哲学を学ぶにはどうすればいいんだろう?というところから私の哲学との接触が始まりました。
 
 
 
 

偉大な賢人たちの哲学書

哲学について学びたいと思って、私はまず初めにインターネットでぱらぱらと検索してみました。
 
検索ワードは『哲学』とか『哲学 学び方』とかそれっぽいのを打ってみたんですが、哲学の学び方の王道っていうのは一向に分かりませんでした。
 
「簡単な哲学書から少しずつ読んでいくといい」っていうのが書いてある所は多かったんですが、それぞれでおススメされてる本に統一性がなくてやたらに迷っちゃうんですよね。
 
それで何だかんだ一番面白そうだと思った『純粋理性批判』という本を読んでみることにしました。
 
この本は著者は、ドイツ人哲学者のイマヌエル・カントという人です。
 
純粋理性批判 1 (光文社古典新訳文庫)

純粋理性批判 1 (光文社古典新訳文庫)

 

 

扱っているテーマは、簡単に言うと「人間の認識の限界の把握」です。
 
テーマを見るだけでもう難しそうな雰囲気がビシビシ感じられます。
 
そして実際に読んでみると、この本の内容がまたむちゃくちゃ難しい。
 
哲学への淡い気持ちもボロボロに崩れ去るほどに、難解な文章を叩きつけられました。
 
その気持ちが打ち崩れていく過程を次にちょっと紹介します。(当時の状況をそのまま再現しているので、テンションが高いのは気にしないでください。)
 
「ついに哲学書に手を出してしまったな…
これが『純粋理性批判』か。
なんかカッコいいな。
 
よし、読んでみるか!
 
ペラッ
 
へー、哲学書っていっても普通の本とあんまり変わらないな。
 
でも、難しい言葉が多くて読みづらいな。
 
そうだ、辞書で意味をしらべて書きこみながら読もう!
 
 
よし、10回くらい読み返せば何となく言ってる意味が分かるぞ。
 
 
なるほど!
『時間』と『空間』だけは生まれながらの特別な認識なのか!
 
カントって面白いこと考えてるなぁ。
 
まあ、現実の世界でどう活用できるのか全然分かんないけどな。ははは。
 
だいぶ疲れたし、今日はもう寝るか… 」
 
…っていう感じでした。
 
やっぱり専門的な哲学書ってなると、分かりやすさよりも正確に伝えることを重視してて、難しい言葉を惜しげもなく使ってくるんですよね。
 
すきま時間にちょっと読んだだけじゃ、内容が右から左へそのまま通り抜けて、全く頭に残らないんですよ。
 
しかも、同じようなことが何度も書かれていて文章の長さも半端ないです。
 
これを読み切るのは常人には相当難しいことだと、素人ながらに思いました。(実際、私は一週間経たずにリタイアしました。)
 

結論

専門的な哲学書(正確性>分かりやすさ)は、趣味で哲学に触れようとしている人には向かない。

 

哲学入門書

ということで、カントさんの本に見事にノックアウトされた私は次に、初心者でも分かりやすいように書かれた哲学入門書に手を出してみることにしました。
 
「分からないことがあれば、まずググる」精神でインターネットで探してみると、おススメとされる本が無数に漂っていて、一つに選べる気が全くしませんでした。
 
そこで、哲学入門書を求めて思い切って本屋に行ってみました。
 
ショッピングモールの中にあるそこそこでかい本屋で探索していると、しばらくして「哲学コーナー」らしき場所を発見しました。
 
その本屋では、哲学コーナーの隣は宗教コーナーになっていて、その一帯はなかなか怪しい雰囲気が漂っていました。
 
そこですぐに、「ここに長居してたら、変な人だと思われるんじゃないか…」という自意識が発動してしまい、私は哲学入門書らしきものを直感で一つ選び、足早にその場を後にしました。
 
その後、無事本を買うことができ、自宅へ帰る途中には妙な心の高ぶりを感じました。
 
そして、家に着くと、すぐにカバンから本を取り出して、改めて本のタイトルをまじまじと見つめました。
 
『14歳からの哲学入門』!!!
 
14歳からの哲学入門 「今」を生きるためのテキスト

14歳からの哲学入門 「今」を生きるためのテキスト

 

 

これは、いかにも分かりやすそうなタイトルの本ですね。

 

しかし、私自身14歳はとっくに過ぎているのですが、こんな思春期男子が読みそうな本を読んでいいのでしょうか?(哲学をしたいと言っている時点で、思考が中二(14歳)レベルだとは思うが)

 

…とまあ色々考えてもしょうがないと思い、さっそく読み始めてみました。

 

冒頭

読み始めてすぐ、冒頭の作者による本の紹介で、こんな言葉を発見しました。

 

本書は、いわゆる十四歳本のひとつであるが「十四歳向けという名目で難解な哲学を子供でもわかるレベルまでかみ砕いて書きました」という本ではない。

本書が伝えたいことは、すべての哲学は、十四歳レベルの発想、誤解を恐れずに言えば、「極端で幼稚な発想」からできているということ。

哲学とは、十四歳頃に誰もが味わう「常識の崩壊」を乗り越えるためのものである。

 

飲茶(著者)

 

なるほど、つまりこの本は「14歳レベルの簡単な本」ではなく「14歳レベルの思考の本」なのか。

 

ということは、私は大学生になって初めて、「中二が経験する常識の崩壊」が起こり始めたということか…

 

確かに、趣味嗜好が同世代の他の人たちより幼いと感じたことはあったけど、まさか思考まで幼いとは思っていなかった。

 

この本をしっかりと読んで、大人の階段を上らなくてはいけないみたいだ。

 

本文

冒頭の作者による作品紹介を読み終えた私は、次に目次に目を通しました。

 

十四歳からの哲学

ニーチェ

合理主義の哲学

デカルト、ヒューム、カント、ヘーゲル

実在主義の哲学

キルケゴール、サルトル

構造主義の哲学

レヴィ=ストロース、ウィトゲンシュタイン

ポスト構造主義の哲学

デリダ、ボードリヤール

これからの哲学

 

 目次を見ると、いろんな主義の哲学がまとめてあるのが分かります。

 

しかも、登場する哲学者たちの中には、なんとなく聞いたことのある名前がちらほらあります。

 

これは期待できそうだと思いつつ、本文を読み始めいきました。

 

本文では、「現実世界のある問題を解決するために、ある主義の哲学が生まれた」という因果関係がしっかりと書かれていたので、「哲学は何の役に立つのか?」という疑問を持たずに読み進めることができました。

 

ここで本の詳しい内容は書きませんが、概要としては「様々な哲学の栄枯盛衰をたどる」というものです。

 

しかも、それはただ「勝手に栄えて、勝手に衰えていく」のでなく、「新しい哲学が突如台頭し、既存の哲学を打ち崩していく」のです。

 

高度な哲学を展開することのできる賢人たちは、もちろん思慮深く、相手を尊重することにも重きを置いているのだと私は思っていました。

 

しかし、実際の彼らは想像とは大きく異なり、躊躇なく先人たちの哲学を否定していくのです。

 

これには、驚きとともに言いようのない面白さを感じました。

 

それぞれの哲学者がもっともらしいことを語っているのに、次の項目ではその考えを別の哲学者があっさりと否定してしますのです。

 

その様子はまさに逆転に次ぐ逆転という感じで、誰の言ってることを信じればいいんだか分からず、頭が右往左往してしまいましたよ。

 

この本を読み終わった後には、これが冒頭で言っていた常識の崩壊なのかと納得することができ、哲学の本質と面白さを少しなりとも感じることができました。

 

【改めて】哲学とは何か

ここで、「難しい専門的な哲学書」と「分かりやすい入門的な哲学書」を読んだことを踏まえ、改めて哲学とは何なのか自分なりに考えてみたいと思います。

 

まず、ある言葉の意味を深く考えるときには、その言葉の定義を確認しておくことが重要です。

 

ということで、まず「哲学」の定義を確認してみます。

 

哲学
 
①(philosophy) 物事を根本原理から統一的に把握・理解しようとする学問。
 
②俗に、経験などから築き上げた人生観・世界観。また、全体を貫く基本的な考え方・思想。
 
引用:広辞苑

 

辞書的な意味では、「哲学」は上に書かれたような意味になります。

 

①と②で二つの意味があるようなので、それぞれについて考察してみましょう。

 

定義①

物事を根本原理から統一的に把握・理解しようとする学問。

 

正確な意味を選ぶとすると、①の意味になると思います。

 

いわゆる学問的な哲学の定義であり、哲学は物事の根幹や本質を把握する試みであることを示しています。

 

定義②

「俗に、経験などから築き上げた人生観・世界観。また、全体を貫く基本的な考え方・思想。」

 

この定義②は、定義①「哲学は、物事の本質を把握する試み」から派生した定義だと私は解釈しました。

 

定義②の最初に「俗に」と書いてあることから、これは世間一般にとっての哲学の定義なのではないかと予想できますよね。

 

対応としては、

定義①→哲学マニアの賢人用

定義②→単純思考の一般人用

ということです。

 

では、なぜそう考えたか順を追って少し説明してみたいと思います。

 

定義①から定義②への流れ

人間の間のコミュニケーションは主に言葉で行われているので、その言葉の定義っていうのは、誰にとっても同じでなければいけないものですよね。

 

だから、最初は哲学の意味も「物事の本質を知る」っていうので統一されていたと思うんですよ。

 

でも次第に、賢い人とそうでない人の間で、哲学への熱量の差が生まれてしまうようになります。

 

賢い人は、哲学における思考がより普遍的なものになるように努力する

 

そうでない人は、哲学的な思考が自分にさえ当てはまっていれば満足する

 

だから、「そうでない人(一般人)」にとっては、哲学=自分の考え方(人生観)という解釈が正しくなっていったのだと思います。

 

結論

哲学とは、

賢人にとっては、「物事の“普遍的”な原理を把握する行為」

not賢人にとっては、「物事に対する“自分の考え”を把握する行為」

 

一般人が哲学するメリット

前の項で、哲学が何を意味するのかは大体把握できたと思います。

 

では次に、哲学は何の役に立つのか考えてみましょう。

 

哲学者の場合 

まず、カントのような、いわゆる“哲学者”と言われる人たちの場合どうでしょう。

 

彼ら哲学者たちは、この世の万人が抱えているような問題を解決するため、日夜頭を捻らせています。

 

それは、人類の思考力をワンランク押し上げるために哲学をしている、と言い換えることもできます。

 

とても規模が大きく、壮大な野望を持って、哲学をしているようですね。

 

一般人の場合 

では一方、我々一般人が哲学をするメリットとは何なのでしょうか?

 

先ほど説明したように、一般人が哲学をしていけば、自分の考え方の傾向が分かっていきます。

 

そうして、それを続けていくと、だんだんと自分の持つ人生観や思想が固まっていきます。

 

この人生観の確立こそが哲学をするメリットだと私は思います。

 

  • 「あなたはどんな人ですか?」と聞かれても、すぐに答えることができる。
  • 他人と何らかのテーマで議論しているとき、自信を持って自分の考えを発言することができる。
  • 他人から自分を否定されても、それが間違っているなら折れずに反論することができる。

 

哲学をしていけば、こんなふうに「自分」を強く持つことができるようになり、それこそが哲学するメリットなのだと思います。

 

 

面白い哲学を持ってる人紹介f:id:hainesu:20170422223552p:plain

 
 
ここで突然ですが、面白い考えを持っている人をひとり紹介します。
 
荒木飛呂彦氏の描く漫画『ジョジョの奇妙な冒険』第6部に登場するエンリコ・プッチという男です。
 
彼は神父でありながら物語のラスボス的立ち位置にいる異色の人物です。
 
そして、次のような言葉を残しています。
 「覚悟した者」は「幸福」であるッ!
 
悪い出来事の未来も知る事は「絶望」と思うだろうが
 
逆だッ!
 
明日「死ぬ」とわかっていても「覚悟」があるから幸福なんだ!
 
「覚悟」は「絶望」を吹き飛ばすからだッ!
 
ジョジョの奇妙な冒険・第六部「ストーンオーシャン」ーエンリコ・プッチ

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彼の言いたいことを要約すると「覚悟=幸福」です。
 
明日亡くなってしまう人はそれを事前に知っていれば楽になるらしいです。
 
何となく分かりそうですが、やっぱり私には分かりません。
 
でも、彼にとってこれは絶対の真理であり、これが彼の哲学です。
 
彼のいままでの人生経験の中では、この「覚悟=幸福」が常に成り立っていたのでしょう。
 
こんな風に自分の考えをまとめて、ひとつの形に仕上げることができるのが哲学のいいところですね。
 
あとは、それを他人に押し付けすぎないことが大事だと思います。