未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

HSP(過敏感)の筆者が、人・作品・自己啓発についての考察記事を書いていきます。

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

 

どうも皆さん、ハイネス(@hai_nesu)です。 

 

今回は、当ブログのタイトルについての話をします。

 

『知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ』

 

これはそのまま、筆者である僕自身を体現している文章です。

 

僕の人生であると言っても過言ではないでしょう。

 

これから順を追って、その理由を説明していきます。

 

 

 

自分の専攻に興味が湧かない

僕は現在、大学で理工学系の分野を専攻しています。

 

将来の就職先も、科学の知識を使う企業に行くであろうことはほぼ確定しています。

 

ただ、自分の専攻に対しての興味が薄く、これからの人生全てで付き合っていく実感が湧いてきません

 

面白いとか、興味深いと思ったことは何度もありますが、自分の人生において最も時間が捧げられる分野と考えると、何とも魅力に欠けるところがあります。

 

僕の情緒を激しく動かすのは、科学ではないんです。

 

科学という分野に対しての"知識"はあっても、"興味"を持ち合わせてはいなかったみたいです。

 

だからこそ、自分の専攻の知識をブログ内で紹介するようなことを僕はしません。

 

「哲学」への抑えきれない興奮

僕には、「考え過ぎてしまう」という特徴があります。

その性質は、人生の大半においてコンプレックスとして、自分の首を絞め続けてきました。

 

だからこそ、「考え過ぎる」ことは僕の人生を占める全ての要素であり、「哲学(深く考える)」に惹かれたことは運命であり必然だったんですよ。

 

自分の思考により世界が歪んでいく感覚。

そして、自分の人生が大きく変わっていく感覚。

 

自分だけの"力"で、自分の幸福を掴み取っていく実感。

 

自分を取り巻く世界は何も変わらない。

だが、自分の幸福度だけは空虚なまでに満たされていく。

 

そんな時に、「自分は生きているんだ」と狂おしいほどの高揚感に襲われます。

 

自分の内に全ての答えが眠っている

タイトルの「知識ゼロだが」という表現は、別に自分の知識の無さを卑下してるわけではありません。

 

僕が望む理想の試みとは、自分が無意識に脳内に構築している世界観を、ブログを通して具現化することです。

 

そこにあるのは、専門的な知識がどうとかではなく、ただの一人の人間としての自分だけです。

自分の頭の中身を覗き込めば、そこには広大な一つの世界が確かに広がっています。

 

このブログを書くのに自分以外の存在は何一つ要りません。

 

一人椅子に座って、ただ考えればいいだけ。

しいて挙げるなら、 必要な条件は唯一つ、あなたが「人間」であることだけです。

 

自分が人間であるのなら、その自分に聞けば、人間の道理というのは全て分かるはずです。

 

それらは全て幸せに帰結する

物語なら、僕はバッドエンドよりもハッピーエンドの方が好きです。

 

というか、自分の幸せになれない物語に、存在する価値なんてないでしょう

 

これが僕が自分に課す、唯一の制約です。

これさえ守ることができていれば、少なくとも不幸せになることはないはずです。

 

僕は、この一文を理解するのに、20年以上もかけてしまいました。

 

これは、それほどまでに価値のある言葉であり、考え過ぎる人の精神を支えてくれます。

 

自らの幸せのために、自分の認識を歪めていく勇気。

それがあれば、もう怖いものはありません。

 

あとは、実践していくだけです。

 

 

 

というところで、今回は以上。

『たとえ「思考」が暴走して、無駄とも思える迂回路を辿ったとしても、最後には必ず"幸せ"という名の終着駅に到達します。』←タイトル図解説

 

それでは、また。