未熟者の哲学語り

知識ゼロだが「哲学」で幸せになるわ

HSP(過敏感)の筆者が、人・作品・自己啓発についての考察記事を書いていきます。

自分の不幸を誰のせいにするのか?

 

「自分の不幸せを誰のせいにするのか?」という質問があったとして、あなたならどう答えるだろうか?

 

僕は、僕の被る不幸を全て自分の責任だと考えている。

 

紛れもなく、"全て"だ。

 

そこに他人が介在することは決してない。

 

 

 

誰も助けてはくれなかった

一つ、昔話をさせてほしい。

 

僕がまだ幼くて、小学校低学年だった頃の話だ。

 

彼には、4つ年上の兄がいた。

 

男同士ということもあり、些細なことでよくケンカをした。

 

だがもちろん、年下の彼が兄に勝つなんてことは一度もなかった。

 

彼が一度殴るたびに、その間、兄は三度蹴りを喰らわせてきた。

 

肉体のレベルが違いすぎて、戦いにすらなっていなかった。

 

そこで、彼ができる抵抗と言えば何か?

 

それは、唯一、"泣く"ことだ。

 

大声で涙を出して泣くことにより、周りの親へと助けを求める。

 

計らずとも無意識のうちに、彼は弱者のとる最善手を取っていた。

 

だが、そこには一つ大きな落とし穴があった。

 

悲しいことに、彼の親は、兄弟のケンカに口を出さないタイプの人間だったのだ。

 

そして、泣いていた少年は気づく。

 

自分の行動には何の意味もなかったことに。

 

いつの間にか、涙は枯れ果てていた。

 

なぜなら、「泣く意味」はもうないのだから。

 

彼は、自己への無力感と共に、他人に助けを求めることの無意味さを理解した。

 

誰も自分を救ってはくれない。

 

自分が何とかするしかない。

 

己の不幸は全て、自分の能力不足により生じている。

 

そう考えるのも無理はない。

 

絶望の淵に、自分以外の光は誰も存在しなかったのだから。

 

自己責任論とは希望だ

僕は、自分の不幸を他人のせいにするのが嫌いだ。

 

なぜなら、それは、自分の幸福度を決める権利を"赤の他人"に譲るということになるからだ。

しかも、おそらく、自分が最も忌み嫌っているであろう人たちに、自分の運命の手綱を託すことになってしまう。

 

僕は他人から支配されるのが一番嫌いなので、そんな状態でいるのは虫唾が走る。

 

それならば、いっそ、自分の不幸を全て、自分のせいにしてしまった方が楽だ。

 

自分の不幸が全て自分の責任であるならば、僕はその身に被る不幸を全て、僕自身の力のみで乗り越えることができる。

 

だから、僕は他人に期待したことがあまりない。

 

常に最悪の状況を予測する。

自分の幸せを奪う他人が現れたのなら、どうすれば自分の思うがままに行動させられるか考える。

 

例えば、自分が学校のクラスでいじめられたとして、そのいじめっ子が改心するのを待つのだろうか?

先生や周りの生徒が察してくれるのを期待して、毎日ただ祈るのだろうか。

 

否、誰も助けてはくれない。

 

自分の力でその最悪な状況を歪めていくしかない。

 

自己責任論に立って初めて、僕は自分の人生に希望を見つけられた。

 

自己責任論は茨の道だ

ハッキリ言って、自己責任論を維持するのは辛いと思う。

特に、自分の力ではどうしようもない場面に立ち会った時は、心が折れそうになる。

 

実際、僕はこの自己責任論のせいで、今までの人生で自己嫌悪を繰り返してきた。

 

ただ、これはもう既に、僕の思考回路に根付いてしまっているので、今さら変えることはできない。

 

だから、考え方を変えてみた。

 

僕は、自分の現状を大きく変えようとはしない。

 

ただ、受け入れる

 

そして、肯定する

 

それだけ。

 

自分に言い訳してみたら、そこには途方もないほど美しい世界が広がっていたんだ。

 

 

 

 

というところで、今回は以上。

本記事の着想を与えてくれたGさんに、スペシャルサンクス。

 

それでは、また。