未熟者の哲学語り

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職業:大学生、趣味:哲学。そんな男のはけ口のブログ。

自己嫌悪する人は客観視が足りてない。もっと言葉の力に頼ってみな

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どうも、大学生のハイネスです。
私は日常のいたるところで自己嫌悪をしてしまう癖があります。それも、小さいものから大きいものまで。
「うわー、期末試験の問題全然解けなかった…」
「徹夜してパワーポイント作ったのに、プレゼンのうけ悪かったなぁ。」
などなど、毎日うまくいかないことばかりで、自分がどれだけ無能なのかと思い知らされる日々を過ごしていました。
 
「どうにかして自己嫌悪をやめたいな」と寝つくまでベッドの上で悶々と考え続け、最終的にひとつの思考法にたどり着きました。それは、「因果律」という言葉を強く意識することです。
 
これは万人に効果があるかは分かりませんが、少なくとも1人の男を救った考え方です。以下に説明を書いていくので、是非ご一読を。
 
 

自己嫌悪のプロセス

そもそも自己嫌悪はどういうふうに起きるのか。次に示すようなプロセスになります。
 
 
自分に対して「この程度はできるだろう」という評価をくだす。
実際の結果は、予想していたよりも悪くなる。
想像の自分」と「現実の自分」のギャップにショックを受ける。(自己嫌悪)
 
 
自己嫌悪は他人と自分を比較してしまうことで起きると思われがちですが、正確に言うと自身への過大評価が原因になります。予想した結果を基準として、現実の結果はそこからどれだけズレているのか。それによって、どの喜怒哀楽が出るかが変わってきます。
 
絶対に赤点だと思っていたテストが実は高得点だったら嬉しいでしょう?
逆に、高得点確実だと思っていたテストが赤点だったら相当落ち込むはずです。
 
後者のように期待からのズレが大きいと激しく落胆することになり、そこからの逃避が自己嫌悪につながります。
 
 

自己嫌悪の回避方法

自己嫌悪を回避するのに一番重要なことは、「自分の判断だけで自分を評価しない」ように心掛けることです。
 
テストやプレゼンなどの点数や評価が表れることをすると、どうしても結果を予想してしまいがちになります。
 
しかし、あらかじめ予想をしてしまうと、実際の結果よりも予想していた結果の方が本当の自分だと思い込んでしまいます。
 
それだと理想と現実のギャップが生まれてしまい、自己嫌悪を回避することはできません。
 
「本当はもっとできるはずなのに、この結果はおかしい」なんて感想を持ってしまったら終わりです。
 
順番としては、
実際の結果が出る→(実際の結果だけをもとに)自分を評価する」であり、
結果を予想する→実際の結果が出る→(予想した結果をもとに)自分を評価する」ではありません。
 
 

自己の客観視

前の項では、実際の結果だけを参考にして自己評価しなければいけないと説明しました。
 
では、なぜ自分だけで判断した自己評価は当てにならないのか。
 
 
それは、圧倒的に客観性が足りてないからです。選択式のマーク試験ならまだしも、プレゼンなどの発表では自分の見る景色と相手の見る景色は全く違います。他人からどう見えているかを自分だけで予想するのは極めて困難なのです。
 
そういう訳で、自分だけで自分を評価するのはナンセンスです。本当の自分を知りたいなら、それはやはり実際に相手(結果)に聞いてみるしかありません。自分に対して抱いた印象を数人から聞いて平均をとれば、それは大体あなたの本当の姿を表しているはずです。
 
 

「因果律」を意識する

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 突然ですが、次のような言葉があります。
 
因果律
一切のものは原因があって生じ、原因がなくては何ものも生じないという原理。
 
引用:広辞苑

 

原因があって初めて結果が生じる。はい。この言葉、すごい当たり前のことを言ってるだけです。
では、どうしてこんな言葉を持ち出してきたのかというと。それは、「自分を客観視する」という行為に名前を付けてあげるためです。
 
これは「病気は名前を付けられて初めて病気になる」という話と同じ考えです。
と診断された時から社会的な立場が変わるように、因果律という言葉を意識することで初めて客観的な観点を得ることができるのです。
 
客観性が保てなくなりそうな時は、この言葉を強く意識してみて下さい。
そうすれば、
「できるはずなのに、できなかった」→「努力してないから、できないのは当たり前」
という例のように、自己嫌悪から上手く回避できるようになるはずです。